学校の学級会にも納得できなかった。同級生たちは、先生に忖度そんたくするような発言ばかりだし、話し合いも予定調和のように感じていました。だから、いつも終盤になると手をあげて、別の意見を訴えると次第に賛同者が増えていき、決定をひっくり返しました。毎度のことだったので、私が手をあげると教室は「また、はじまった」という雰囲気になっていました。

あまのじゃくな性格なので、みんなと同じ見方や考え方をしたくなくて、別の視点から物事を見るようにしていたのかもしれません。体育の授業でサッカーをしても、小学生の頃はボールに群がりがちですが、私は離れた場所にいて、ボールが出てくるのを待っていた。みんなが行くなら自分は行かないという、逆張りの性格だったんです。

『ロッキード』を出した小説家の真山仁さん
撮影=プレジデントオンライン編集部
ロッキード』を出した小説家の真山仁さん

同級生からは、弁が立つから政治家に向いているんじゃないかとも言われました。でも「政治家の家系じゃないし、派閥をつくるにしても20年も30年もかかるから政治家にはならない」と反論していました。

「小説家になって世の中を変えたい」

——(苦笑)早熟な少年だったんですね。

大人は、生意気な子供だと思っていたでしょうね。

そのうち、自分が生まれた証しを社会に残したい、ひとりで社会を変えられる方法は何かと考えるようになりました。そして、小説なら、それが可能かもしれないと気付いたのです。

当時、私はポプラ社が出していた怪盗ルパンシリーズを愛読していました。20世紀初頭にフランス人作家が書いた物語を数十年後、フランスから遠く離れた日本の少年が読んでいる。しかも、そこから派生したルパン三世というキャラクターも人気だった。小説には、スゴい力があるんだな、と気付いたのです。

小説家になって世の中を変える、と親に宣言したのですがまともに取り合ってもらえませんでした。

高校生になると、小説家になりたいという考えは強くなりました。そのころ私は、フレデリック・フォーサイスやブライアン・フリーマントルなど、新聞記者上がりのイギリス人作家の小説を好んで読んでいました。日本で言えば、山崎豊子さんも新聞記者から作家になっていた。

取材した社会問題を小説という形で、世の中に問う。これはひとりで社会を変えられる仕事だと確信し、小説家になるために、まずは新聞記者になろうと考えたのです。

論文のテーマは「小説で政権をひっくり返す」

——大学では小説について学んでいたのですか?

小説の力で社会や政治を変えたかったので、進学した同志社大では政治学の講義ばかり受けていました。なかでもいまも記憶に残っているのは、イギリス政治の講義です。先生は、日本で二大政党制は成立しない、と断言していました。民主主義が成熟していない日本ではムリだろう、と。