なぜ要請の理由や判断に至る経緯を問わなかったのか。端的に言えば、一斉休校がどれほどのニュースなのか、自分たちで考えていなかったからだろう。そして、事前に要請していた質問以外の質問をいきなり投げかければ、秘書官に文句でも言われると恐れたのではないだろうか。さらに言えば、「上から指示がなかったから」ということもあるかもしない。
チーム取材の中で、総理番には安倍に質問する役割が割り振られている。他の記者が自民党や野党の幹部からもコメントを拾い、秋葉がパーティーを開いていた問題の記事は出来上がっていく。秋葉の進退問題にまで発展するのか、野党はどこまで追及するのかなど、政局的な意味では多角的な原稿になる。
しかし、こうした仕事のやり方に慣れるあまり、突発的なニュースに対して自分で考えて動く力を失っている。そんな現状を表す場面だった。
「いつ」がどれほど大事なのか
政治部への違和感は2017年春、外信部から異動してきた初日から感じていた。
正確には、担務の説明を受け、「トランプがいつ来日するかが抜き合いになるから、よろしく」と言われた時のことである。
他の記者が報じていない特ダネやスクープをものにすることを「抜き」、他の記者に先んじられることを「抜かれ」と呼ぶ。「抜き合い」とは同じテーマについて同業他社と「特ダネ」争いをすることを意味している。
「ああ、またこの世界に戻ってきてしまったのか」と苦い思いを抱いた。駆け出しのころから「抜き合い」には弱く、他紙に抜かれて未明に電話でたたき起こされ、本社から他紙が報じた記事のコピーを自宅にファクスで送られた苦い思い出は数知れない。抜かれた内容の裏付けを取るために早朝から奔走する時ほど、みじめなものはない。
政治部に異動する直前に駐在したエジプトのカイロ支局では、「抜き合い」にわずらわされることはなかった。カイロには日本の主要マスコミの記者が駐在し、中東のニュースを追いかけていたが、それぞれの記者が好きなテーマを取材していた。他社の特派員との競争意識はなく、むしろ同志のような存在だった。米国や中国、韓国など日本との関わりが深い国に比べると、中東のニュースへの関心は基本的に低いため、会社側からも「競争」を求められることはまずなかった。
大事なのは“中身”のはずだ
もちろん「要人との単独インタビュー」や紛争地・テロ現場などでの「日本メディア初の現地ルポ」など、中東でも多少の「抜き合い」はある。日本人が巻き込まれたテロ事件や大規模な紛争などで現場入りのスピードが競争になる局面もあった。しかし、個人的には「世界初」ならともかく「日本初」には価値を感じないし、追いかけようがない「単独インタビュー」には拍手を送るしかないと思っていた。
こうして外国の自由な環境で取材していた反動もあり、日本に戻って聞かされた「抜き合い」という言葉にはうんざりした。しかも、そのテーマは「トランプがいつ来日するか」、つまり来日時期を巡る争いだというのだ。