政治記者は「権力の監視役」といわれてきた。だが、毎日新聞記者の秋山信一氏は「チーム取材や政治日程の抜き合いなど、政治報道は既存の『特権』にあぐらをかいて、時代に合わせた変化を怠っている。自分で考えて動く力を失っている」という——。

※本稿は、秋山信一『菅義偉とメディア』(毎日新聞出版)の一部を再編集したものです。

「桜を見る会」をめぐる問題について記者団の質問に答える安倍晋三前首相(中央
写真=時事通信フォト
「桜を見る会」をめぐる問題について記者団の質問に答える安倍晋三前首相(中央)=2020年12月4日、国会内

エリート記者か、御用記者か

新聞社の政治部出身者は経営・編集幹部になったり、テレビなどで評論家やコメンテーターとして活躍したりする記者も多い。菅政権では通信社の政治部出身の首相補佐官まで誕生した。

一方で、政治家の懐に入ることに夢中になって、政治家の汚職や不祥事を追及には甘い印象もあるかもしれない。実際に、権力との距離が近いあまりに「御用記者」と呼ばれる政治部出身の記者もいるくらいである。昔からドラマで格好良く権力の腐敗を追及するのは、大抵社会部の記者の役割と決まっている。

良い面も悪い面もあるのは確かだが、権力者に直接取材したり、会見で質問したりするチャンスは、政治部の記者が最も多い。しかも、日本の方向性を決める永田町・霞が関でのマスコミの存在感は、世間一般に比べても格段に大きい。政党や省庁は毎朝のように新聞の切り抜きをまとめたスクラップを作成し、関連する報道は逐一チェックしている。

菅も例外ではなく、どこの報道機関がどういう報道をしたかということをよく覚えていて、「毎日のあの記事だけど……」と菅から直接問い合わせを受けたこともある。

逆にどこの社が報じていないかもよく見ていて、「桜」の質疑が激しかった頃など「こっちはきちんと説明しているのに、朝日にちょろっと記事が出ただけじゃないか」などとぼやいていた。

政治部に在籍していた3年半で、マスコミの政治報道が持つ政治的な影響力の大きさは予想以上だということが分かった。一つ一つの報道が永田町や霞が関にダイレクトに反響を呼ぶのだから、記者にとってもやりがいはある。

しかし、政治報道は既存の「特権」にあぐらをかいて、時代に合わせた変化を怠っていることも実感した。今やマスコミを介さなくても、インターネットを通じて外から永田町・霞が関のムラ社会をのぞき、ムラの住人と直接つながることができる時代だ。従来の型通りの取材をしているだけでは、質・量とも外の世界を満足させることはできない。

まして、相手はマスコミを熟知し、ムラの外の世界とのコミュニケーションに利用しようと考える菅だ。