灯台設置と同時期に領海侵犯が始まる

そして1996年9月2日、中国の海洋調査船「海洋4号」(約3000トン)など2隻が初めて尖閣諸島周辺の日本領海を侵犯した。海洋調査船による領海侵犯は25年も前から行われていたのだ。灯台設置という日本国内の動きに反発するかのような行動であった。

同年、中国の海洋調査船2隻と、台湾の小型船延べ11隻が11回にわたり、尖閣諸島付近でそれぞれ領海侵犯。翌1997年には、30隻の台湾抗議船等が尖閣諸島に接近し、そのうち3隻の抗議船が警告を無視して領海侵犯した。この時、海保は多数の巡視船艇による包囲網を敷き、上陸を阻止した。

海保が大規模な包囲網を敷いた理由は、前年10月に台湾・香港の活動家等が乗船する小型船41隻が領海を侵犯、香港と台湾の活動家4人が魚釣島に上陸する事態が起きたからである。

この時期の中国は、現在のような公船ではなく、漁船を改造した「抗議船」により日本政府へ圧力をかけるという体裁を取っていた。

海上保安庁に所有権が移管された

日本青年社により魚釣島に設置された灯台は、高さ約5メートル、重量約200キロのアルミ軽合金製。太陽電池式で約10.2キロ先まで光が届く。

魚釣島灯台(「海上保安庁レポート2005」より)

2005年、前述したように許可申請のため日本青年社から所有権の譲渡を受けていた石垣市の漁業船主協会長が所有権を放棄したことから、民法の規定に基づき国庫帰属財産として国の管理下に置くことになった。

そして、同2月、海上保安庁は航路標識法に基づく所管航路標識として、「魚釣島漁場灯台」(現在は「魚釣島灯台」と呼称)と命名し、管理を開始、海図に記載した。長年、付近海域での漁労活動や船舶の航行安全に限定的とはいえ寄与している実績等を踏まえ、政府全体の判断として、その機能を引き続き維持することとなり、必要な知識、能力を有する海保が保守・管理を行うこととなったわけだ。

海保が設置した灯台が民間へ払い下げられる例はあるが、民間が設置した灯台が国(海保)へ所有権が移った例はおそらくないだろう。それだけ、魚釣島灯台が特殊な位置づけにあることを示している。