航路標識許可申請は繰り返し拒否された
さらに同年8月、中国漁船140隻が押し寄せたことに危機感を強めた東京都内の政治結社「日本青年社」が、多額の資金を投入して新たな灯台をもうひとつ建設した。
灯台などの航路標識は、設置に伴って航路標識許可申請が必要だ。石原慎太郎氏や日本青年社は日本政府に同申請書を繰り返し提出しようとしたものの、中国との摩擦を恐れた外務省が介入し「時期尚早」と拒否され続けた。
このため、灯台は国(海上保安庁)の管理下にならず、日本青年社が細々と太陽電池の交換や補修工事を行ってきた。細々とはいったが、灯台の設置費用1000万円、維持費は年間300万円がかかったという。
また、灯台とは別に、1979年、沖縄開発庁(当時)が開発調査のため、魚釣島に仮設ヘリポート建設している。このヘリポートを使用して、尖閣諸島の地質、動植物や周辺の海中生物などを調べる学術調査団31人がヘリコプターや巡視船で魚釣島に派遣された。
しかし、これに中国が抗議。園田直外相(当時)は衆院外務委員会で「日本の国益を考えるなら、そのままの状態にしておいた方がいい」と仮設ヘリポート建設や学術調査に反対の意向を示した。結局、中国の抗議を受け入れた日本政府は、仮設ヘリポートを撤去してしまった。「必要性がない」という理由だった。
もうひとつ灯台をつくるも台風で倒壊
一方、灯台に関しては1988年、日本青年社が建設10周年記念として新調。現在使われているのは、このときにつくられた設備だ。ただし、海保が設置しているような堅固な灯台ではないため、台風で損壊したこともある。
皮肉なことだが、中国漁船や台湾漁船もこの灯台による恩恵を受けているのだという。安全な航行・操業を行うために、小さくとも魚釣島灯台は重宝されているのだ。
1978年の灯台建設当時、前述の通り日本青年社が提出した許可申請書を拒否する際、海上保安庁が表向きに理由としたのは「漁業関係者の申請でないと受け付けられない」とする旨であった。このため、日本青年社側は行政区である沖縄県石垣市の漁業関係者に所有権を譲渡、1989年にあらためて申請書が提出されたという経緯がある。
日本青年社は1996年7月15日、北小島に新たな灯台(北小島漁場灯台)を建設した。海保に許可申請を行ったものの2度の台風で倒壊したため、申請を取り下げ。同年9月に灯台を修復し、再度海保に申請を行った。
この時も政府の判断で許可が保留された。残念なことに同年12月、許可が保留されたまま灯台本体が曲がり灯火が消えた。その結果、機能しているのは魚釣島の灯台のみとなった。