ピンポイントではなく全体の救済から
一方、個人に対してはコロナ後に10万円の一律給付はやりましたが、今のところ1回だけで終わっています。2020年度の第1次補正予算には10万円の一律給付、特別定額給付金が含まれていました。しかしその後の第2次補正予算の中身を見てみると、生活を支えるための給付というのは、一律ではなくピンポイントでやっているんですね。
例えば、シングルマザーの家庭や、生活が苦しい学生、主にこの2つだけだったんですよね。私は「ピンポイントで困っている人だけ救済する」というのは非常に難しいことだと思っています。そうすると、政府が想定しているような“困っている人”以外は救済されないからです。
政府はそんなに万能でも、全知全能の神でもありません。救済漏れはいくらでも起きます。例えば生活に困っている一人暮らしのフリーターは、コロナによる休業手当てがもらえない場合も結構あるんですよね。正社員であれば、企業の要求で休まされた場合には、給料の6割以上の休業手当を払わなければいけないという決まりがあります。
しかし、フリーター、アルバイト、パートの場合は、そもそもシフトが入っていない状態にされて、休業手当てがもらえないケースも多い。その場合に、労働者が直接申請して支給を受けられるようになりましたが、手続きが難しいと思います。
それから、美容師さんやタクシー運転手さんなど、歩合制の仕事をしている人もコロナの大きな影響を受けました。失業はしていないものの、お客さんが来なくなって生活が苦しい。そういう人たちに対する支援策もない。
初めからピンポイントで狙い撃ちして救済するなんて無理な話です。包括的にまず救済してから、それでも救済しきれない人、困っている人がいたら、そこにピンポイントで行う必要があると思います。
これが、私がベーシックインカム導入を主張する最大の理由です。ピンポイントの救済は難しい。まず包括的な救済を行えば、ピンポイントで救う必要のある人の数もかなり減らせるでしょう。
非常時ですら緊縮的なスタンスを拭いきれていない
それを今回のコロナのケースにあてはめると、追加の10万円給付を第2次補正予算にも盛り込むべきだったのです。この追加給付を政府が行わなかった理由というのは、“ケチケチ病”です。「お金をムダに使ってはいけない」といった気持ちが政府側の人々にあるのではないでしょうか。
“ケチケチ病”というのは、嘉悦大学の高橋洋一先生がよく使っている言葉で、もう少し真面目な言い方をすると「緊縮財政主義」です。緊縮的な考え方が染みついていて、こんな非常時ですら緊縮的なスタンスを拭いきれていない。「政府の借金が気になってしょうがない……!」という感じです。
これもマインドの問題なのでしょうか。個人にお金を配ることに対する抵抗感が、政府だけでなく一般の人たちにもあります。例えば「お金を配ったら、ムダづかいするに決まっているじゃないか」といった言い方をするわけですけれども、ムダづかいしてもいいんです。個人消費が伸びれば、消費が拡大して経済が回っていきます。しかも本人にとってはムダではなく、ほしいものを買うわけですから。