高い成長目標を掲げて苦労するのは「不毛な努力」
人間が抱く世界像には各人の個人的記憶や経験が色濃く反映されています。私たち現役世代が抱く世界像は「成長」が常態化していた自分たちの子供時代、あるいは親の世代の印象や記憶によって形成されているので、「高い成長率」こそが正常な状態であり、現在のような「低成長」は異常な状況だと考えてしまいがちです。
だからこそ、この「異常な事態」を、さまざまな経済施策・企業施策によって「正常な状態」に回復させなければいけないと考え、ここ20年ほどのあいだ、徒労の上に徒労を積み重ねてきたわけですが、ゴードンによれば、数万年におよぶ人類の長い歴史を踏まえれば、むしろ20世紀後半という時代が「異常な状態」であり、現在はそれがまた「正常な状態」に戻りつつあるだけ、だということになります。この指摘は、先ほど紹介したトマ・ピケティの指摘とも符合するものです。
ゴードンやピケティの指摘がもし正しいのだとすれば、多くの企業が高い成長目標を掲げ、その内部において人々が心身を耗弱させるようにして仕事に取り組んでいる現在の状況は、やっと取り戻しつつある「正常な状態」を、あらためて「異常な状態」へと押しもどそうとする不毛な努力なのだということになります。
しかし、そのような不毛な努力の先には不毛な成果しか生まれないでしょう。もし現在、私たちの社会が「正常な状態」へと軟着陸しつつあるのであれば、私たちの努力は、それを「異常な状態へと再び押しもどす」のではなく、より豊かで、愉悦に溢れた、瑞々しい「正常状態」を取りもどすためにこそ払われるべきなのではないでしょうか。