批評家で哲学者の東浩紀さんが新著『ゲンロン戦記』(中公新書ラクレ)を出した。自身の経営する会社「ゲンロン」の10年を振り返る異色の本だ。いま東さんは動画プラットフォーム「シラス」の運営に力を注いでいる。なぜ「書く」ではなく「話す」に可能性をみているのか。プロインタビュアーの吉田豪さんが聞いた——。(後編/全2回)
批評家で哲学者の東浩紀さん
撮影=西田香織
批評家で哲学者の東浩紀さん

人は「文章に」ではなく「人に」お金を払いたかった

【東】これまでも人はコンテンツではなく、人間にお金を払ってきたんだと思うんです。ライター、言論人、なんでもいいんですが、みんな自分たちを「もの書き」だと思ってきた。なぜならば、いままでは文章を書くしか方法がなかったから。でも、人がお金を払いたかったのは「文章に」ではなく「人に」なんですよ。その意味で、しゃべるとか、動画っていうのはすごく向いてるんですよね。

東浩紀『ゲンロン戦記』(中公新書ラクレ)
東浩紀『ゲンロン戦記』(中公新書ラクレ)

文章の役割がなくなったということではけっしてないんだけど、すごい昔に戻れば、知識人だって街頭でしゃべる人間であって、文筆を生業としているわけではなかった。近代、新聞とか雑誌のシステムが普及していくなかで知識人は文章を書く人になった。そう考えると元の状態に戻ってるんじゃないかとも思うんですよね。こいつおもしろいぞっていう部分をいかに効率よく世界に届けていくか。

そのベースで集めたお金で取材したり、時間を作って文章を書いてもいいし、もっとおもしろいことやってもいいんだけど、とにかく人間力でお金を集めるプラットフォームみたいなことを考えてるんですよね……うわ、「人間力」とか言っちゃったよ。

——ダハハハハ! でも、たしかに東さんのしゃべりの動画を観たら課金したくなるんですよ。

プロインタビュアーの吉田豪さん
撮影=西田香織
プロインタビュアーの吉田豪さん

徐々に「価値の変動」を起こすのがホントの社会改革

【東】ありがとうございます。そこが大事で、そういうことについていまのインテリ層は軽視しすぎというか。「そうじゃなくて俺は文章だけでカッコよくいくから」みたいな、そういうこと考える人が多いんですよね。たしかにそういうことができる人も一定数いるけど、それは少数ですよね。人間力でやったほうが広がりがある。

じつはアーティストもそうだと思いますよ。アートでもそうだし、ぼくのような哲学でもそうなんだけど、「こいつがやってること最初はよくわからなかったけど、だんだんわかるようになってきたぞ」っていうプロセスがけっこう大事なんですよ。アートって最初に出てきたときはよくわからないわけですよ、「これなんだ?」と。でも、だんだん魅力がわかっていって、いつの間にか世の中の価値が変動するということが起こる。

それは哲学も同じなんですけど、その価値の変動を起こすためには時間がかかるじゃないですか。その時間を引っ張るのに使えるのが人間力みたいなもので。こいつのやってることはよくわからないけど、なんかすごいことやりそう、みたいな感じで時間を稼ぐ。『ゲンロン戦記』にも書いたように、そのあいだに徐々にひとの価値観を変えていくのが啓蒙というか、ホントの社会改革だと思うんですよね。

——人間力でわかりにくいことを徐々に飲み込ませていく。