はやりの『ドラゴンクエスト』からヒントを得た
当時、さくま氏は『週刊少年ジャンプ』の読者投稿コーナー「ジャンプ放送局」のライターをしていた。「もしゲーム制作に失敗しても、そこでネタになるしいいだろう」と判断して引き受けることにしたのだ。堀井雄二氏と立ち上げた出版社の若いスタッフもゲーム制作に対して興味を持っていたため、制作は彼らに任せて自分は監修するだけでいいだろうという甘い考えもあった。企画は当時札幌に本社があったハドソンに持ち込まれたが、そこを選んだのも「カニが食べられるから」という特にこだわりのない理由だった。
「でも、若いのが逃げた!」
しかし、ゲーム制作を任せようとしたスタッフが消えてしまう。すでに自身が担当するラジオ番組でも関連する企画が進行しており、契約も済んでいたため、さくま氏が自ら手を動かさざるを得なくなった。しかも『桃太郎伝説』の企画書はたった3枚。危機的状況といえるが、頭の中にはすでに完成形が浮かんでいたという。
このころ流行していた『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』は、仲間を集めてハーゴンという悪い存在を倒しに行くといった大筋になっていた。これを見たさくま氏は、仲間たちとの会話で童話の「桃太郎」の話と類似性があるとに気づき、洋風の『ドラゴンクエスト』に対して、和風のRPGを作ろうと考えていたそうである。また、『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』が延期されることを堀井雄二氏本人からこっそりと聞いており、チャンスであるとも認識していたそうだ。
『桃太郎伝説』と「ジャンプ放送局」のつながり
『桃太郎伝説』において「ジャンプ放送局」の影響は大きい。例えば「なー ほー ざ ワールド!!」といった当時の人気TV番組を意識したセリフがたくさん収録されていたり、「きんぎんパールプレゼントのおに」といったCMのパロディーが随所に存在した。この作風は「ジャンプ放送局」から受け継がれたものであり、そこで子供たちからウケたものがゲームにも反映された。
また、『桃太郎伝説』には主人公の桃太郎のほか、金太郎や浦島太郎も登場するが、彼らも「ジャンプ放送局」の「太郎ズ(3太郎)」というイラストから生まれた。
子供たちが投稿するハガキから、子供心をつかむポイントを学んだ。子供が大好きな「うんち」や「おなら」の要素は『桃伝』にも欠かさず入れ、童話なので敵は殺さずに「こらしめる」といった表現にした。
ゲームの制作期間はたったの3カ月程度。とにかく完成させるために忙しかったが、リアリティーある敵キャラクターを作るため鬼に関する情報を丁寧に調べたという。大江山の鬼退治に関する伝説をはじめ、日本各地にある鬼の伝説や妖怪の本をあたり、目を通した書籍は100冊以上になる。
さくま氏は自ら強く望んでゲームクリエイターになったというよりは、「ジャンプ放送局」の流れでチャンスが舞い込み、さまざまな理由で外堀が埋まって『桃太郎伝説』を作らざるを得なかったといえるだろう。では、そこから何か変化していったのだろうか。