20代前半に起業→32歳で売却「夢とロマンと安定志向」
アイリスオーヤマの最年長社員、社長室室長の阿部一義(67)の経歴は一風変わっている。
「20代の前半に代理店を立ち上げました。当時は起業欲が強くて、20人もの従業員を雇っていたんです。代理店の後、仙台市内で飲食店を経営していました」
飲食店はうまく行っていたにもかかわらず、32歳の時に売却を決意する。自営業は不安定だ。近くに競合が出店しただけで、夜も眠れなくなる。そろそろ潮時かと思っていたとき、脱サラして店をやりたいという人が現れたので渡りに船と売り払ってしまった。
「ところが、次の仕事を考えていなかったんですよ(笑)。たまたまアイリスの面接を受けにいったら、大山会長(健太郎。当時は社長)が直接面接をして下さった。この人は日本の商習慣を根本から変える人かもしれないって、感動してしまったのです」
1986年のことである。当時のアイリスの売り上げは約30億円、2020年売り上げ見込みは約6900億円だから、わずか230分の1の規模に過ぎなかった。
「大山会長の夢とロマンに魅力を感じて入社したわけですが、本音を言うと安定志向もありました。仕事は9時5時で、2人の子供と触れ合う時間もたくさん取れると思っていたのです。自営業は夜も昼もありませんから」
しかし時代は、リゲインの「24時間戦えますか」のキャッチコピーが大流行(88年)した、バブルの絶頂期である。阿部はモーレツサラリーマンと化して、文字通り猛烈に働いた。
「わずか入社8カ月で新潟営業所の所長に抜擢されました。宮城県内に家を買ったばかりだったので焦りましたが、まあ、行ってみてから考えようと……」
ずっと人脈作りを心がけてきた
その後の阿部は、営業部門とマーケティング部門の間を往復するサラリーマン生活を送ることになる。マーケティング部門では、アイリスを飛躍的に成長させた大ヒット商品、クリア収納ケースを担当した。
「収納ケースの中が見えるようにしたのは大山会長の発案でしたが、それをベースに、蓋が半分だけ開く商品とか、衣装ケースの中に除湿剤が入っている商品とか、新商品を次々に提案していきました。出せば飛ぶように売れるので、本当に楽しくて仕方ありませんでしたね」
もちろん失敗作もなくはなかったが、阿部のマーケティング時代は総じて順風満帆であり、アイリス自体も右肩上がりの成長を続けていた。
ヒット商品の連発には、時代背景やアイリス独自の商品開発の仕組みが影響している面もあるだろう。だとすれば、阿部のサラリーマンとしてのコア・コンピタンスとは、いったいどこにあるのだろうか?
「人脈でしょうね。新潟営業所の所長に抜擢された時から、人脈作りを心がけてきましたから」