安保法制に残った“不本意な縛り”
【佐藤】安倍総理の辞任会見でも、憲法改正は「志半ばでできなかった」と無念の思いを滲ませていましたが、任期中の憲法解釈の変更でも思いを遂げられなかったという思いがあるのでしょう。
【手嶋】安保法制は何とか成立させたが、公明党との折衝のなかで、安倍さんにとっては不本意な“縛り”をかけられてしまったと受け取っているのでしょう。
【佐藤】2014年7月の閣議決定で、集団的自衛権の行使にあたっては、以下の三つの要件がつけられました。
2.これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと。
3.必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと。
こうなると、「集団的自衛権を容認するよう憲法解釈を変更した」といっても、その実態は、個別的自衛権の解釈を少しだけ拡げたものに留まったとも言える内容ですから、安倍政権の政治的遺産にはならなかったと思います。少なくとも、安倍さん自身は、そう考えているはずです。
【手嶋】そのように、安保法制が、安倍総理の志と違ったものになってしまった理由は明快です。繰り返しますが、自民党が連立政権を組んでいる公明党のパシフィズム、さらに言えば、創価学会の平和路線に配慮せざるを得なかったからです。
21世紀の日本の安全保障を左右する問題だ
【佐藤】安保法制に対する公明党のスタンスは、『公明党に問う この国のゆくえ』(田原総一朗/山口那津男、毎日新聞出版)という本の山口発言を読めば明らかですよ。
〈安倍総理は、アメリカが武力攻撃された場合、日本が集団的自衛権を行使できるようにしたかったのだと思います。いわゆるフルスペック(全面的)な集団的自衛権です。(略)公明党はフルスペックの集団的自衛権を決して許してはいけない、何があってもこれに歯止めをかけなければいけないという立場で、断固として反対し続けました〉
公明党の山口代表は、同じ本で、安保法制について「集団的自衛権限定容認とは言っていますが、実のところは個別的自衛権であると思っています」とまで言い切っています。
【手嶋】これは、日本の連立与党が、といった当面の政局を超えた、21世紀の日本の安全保障を左右する重要な問題に関わってきます。中国が海洋強国を呼号して尖閣諸島に、台湾海峡に迫り出してきているなか、有事に備える日本防衛の選択肢を拡げておくべきところを、厳しい見方をすれば、自ら手を縛ってしまったとも言えると思います。現実の安全保障は、法制という名の紙の上で生起するわけでも、国会論戦で作戦を策定するわけでもありません。あくまで想定を超えた事態が進行するなかで、瞬時にそして前例のない決断を強いられるのですから。