会社を立ち上げるきっかけとなった、ある納棺

ただ、正直なところ、はじめから志を持って納棺に携わっていたわけではありません。はじめはごくふつうの「下請け」納棺師として、葬儀会社のほうを向いて仕事をしていたときもありました。

一生懸命に技術やスキルは磨いたし、はやく一人前の納棺師になりたいと努力はしていた。けれど、いま思えば死生観もなければ、故人さまの人生の総括の場や、ご遺族の未来を担っているんだという覚悟もなかったような気がします。

それがなぜ「最後のお別れ」の在り方を追求するために会社を立ち上げ、納棺から葬儀まですべてを担うことにしたのか。おおきなきっかけは、納棺師として仕事をはじめて1年経つか経たないかというころ。自信を持って現場に出られるようになったタイミングで担当した、ある納棺でした。

「お父さん、いや、いやだ」

ご自宅でしずかに横たわる50代男性を前に、ただただ泣く奥さまと、ふたりの娘さん。ぼくはどうしていいかわからず、ただ時間がすぎるばかりでした。

硫化水素による自死でした。

こうした有毒気体が原因で亡くなった場合は、ご遺体に特別な処置が必要となります。ご遺体が生前に吸い込んだ気体が死後も毛穴から出てきてしまい、その気体がご遺体の周りにいる、遺された家族に害を及ぼすこともあるからです。

ですから、最終的にはご遺体を「つつむ」しかない。毛穴を封じるように、包帯や透明なフィルムシートを巻いていくしかないのです。

ここで、こまかい技術の話をしたいわけではありません。大切なのは、この処置は納棺の段階でおこなうということです。お通夜や葬儀の前に、全身を覆う必要がある。

つまり「棺のふたを閉める、最後のお別れのずっと前に、顔を見ることができなくなる」ということです。

家族にとって突然の別れに

とくに納棺や通夜、葬儀がある場合、ご遺族は数日かけてご遺体と対面できます。しずかに横たわるその表情を見たり、故人さまに死化粧をほどこしたり、顔を見て話しかけたりしながら、かなしみと向き合う準備をしていくわけです。やはり、「顔」というのはそのひとそのものであり、かけがえのない存在なんですね。

しかし硫化水素での自死の場合、そうはいきません。おくる準備が整う前に、顔が見えなくなる。「お別れ」を経験することとなるわけです。

二度と、愛する人の顔を見ることができない。まだ、亡くなったばかりなのに。まだ、ぜんぜん気持ちも整理できていないのに。