いま自分がここにいる意義は何か

目の前のご両親が、深いかなしみと向き合い、支えを受け入れ、いつか前を向くためには、どうすればいいだろうか? そこをサポートすることが、いま自分がここにいる意義なのではないか?

そこでご両親のほうに向き直って、お話をしました。

「いつもであれば、ぼくがすべての儀式を執りおこないます。でも、もしよかったら、ご一緒にやりませんか」

するとお父さんがゆっくりと顔をあげ、「いいんですか」とおっしゃった。もちろんです、と答え、そのまま3人で納棺をおこなうことにしました。

ご両親が、ちいさな体を拭いて清めます。「りんちゃん、ねえ、りんちゃん」と何度も名前を呼びながら。

そして最後のおきがえをしようというとき、つとお母さんの目から涙が出てきました。うつろだった目に、みるみる涙があふれていく。そして、ひとしきり涙を流されたあと、ぼくのほうに向き合って「最後に、お風呂に入れてあげたいんですけれども……いいでしょうか」とおっしゃったのです。

故人さまが入浴によって身体を清める湯灌ゆかんは、赤ちゃんでもできるはず。そう判断し、あまりあたたかいお湯でなければいいですよ、とお答えしました。

赤ちゃんの沐浴のように、おふたりで身体を支え、優しく髪をなでます。頭の先から爪の先まで、大切に触れ、お湯をかけていく。おそらくいつもそうしてきたのでしょう、「かわいいね」「りんちゃん、気持ちいいかな」と話しかける。

赤ちゃん
写真=iStock.com/bigacis
※写真はイメージです

母親の「ごめんね」と父親の「ありがとう」

ぼくがお会いしたときは憔悴しきって焦点が合っていなかった女性は、すっかり「やさしいお母さん」の顔でした。りんちゃんはぬるま湯の中で、とても気持ちよさそうに見えました。いったい、どんな一年間の人生だったのだろうか……。

「ごめんね」

お母さんがそう言いながら、身体をなでます。涙をぼろぼろ流しながら、何度も何度も「ごめんね」と言う。

お母さんが最後のオムツ替えをし、ご両親でお着物を着せていきます。「ごめんね、ごめんね」。かなしくて、かなしくて、仕方のない時間でした。

納棺のあいだ、お父さんは「ありがとう」と、お母さんは「ごめんね」と繰り返していたのが印象的でした。原因不明の突然死は、どの乳幼児にも起こりえます。だれが悪いわけではないのですが、お母さんが強い責任を感じていることは明白でした。

いつかお母さんも「ありがとう」と言えるようになるのだろうか―――そう思いながら、納棺の儀式を終えました。おふたりの「ありがとう」と「ごめんね」のことばは、いまもこころに残っています。