※本稿は、山田清機『寿町のひとびと』(朝日新聞出版)の第五話「沖縄幻唱」の一部を再編集したものです。
彗星のごとく現れ消え去った“ホームレス歌人”
「うちのお客さんに、歌を詠む人がいますよ」
ある帳場さん(簡易宿泊所の管理人)のひと言に私が飛びついたのは、第二の公田耕一を発掘できるかもしれないと思ったからである。
公田耕一とは、2008年12月8日、『朝日新聞』紙上の「朝日歌壇」に文字通り彗星のごとく現れ、わずか9カ月のうちに二八首もの入選作を残して、2009年9月7日の入選を最後に、やはり彗星のごとく消え去った“ホームレス歌人”である。
通常、歌壇の入選作には投稿者の住所と氏名が記されるが、公田の名前には住所の代わりに「ホームレス」とあったため、この異名がついた。
朝日歌壇を舞台として公田の人物像をめぐるさまざまな推測が飛び交い、俄かにホームレス歌人ブームが巻き起こった。朝日新聞は数次にわたって「連絡求む」旨の記事を掲載したが、ついぞ公田が名乗り出ることはなかった。公田が投稿の足場にしていたのが、他ならぬ寿町だった。
哀しきは寿町といふ地名 長者町さへ隣にはあり
ノンフィクション作家の三山喬は異様な執念を持って公田を追跡し、その一部始終を『ホームレス歌人のいた冬』(文春文庫)という一冊にまとめている。三山は自らホームレス生活まで体験して公田の居場所とアイデンティティーを突き止めようとしており、その筆致はノンフィクションというよりも、むしろ推理小説に近いものがある。
三山の追跡劇は、まさに公田のアイデンティティーの一角である公田という苗字の真実に迫る場面でクライマックスを迎える。その委細は『ホームレス歌人のいた冬』をお読みいただくとして、私にはどうしても三山に会って確かめたいことがあった。それは、なぜ三山がかくも公田という人物に惹かれたのか、その理由である。