元プロテニスプレイヤーの杉山愛さんは現役時代、英語で海外メディアのインタビューをこなしていた。もともとは英語が苦手で負担を感じていたというが、どのようにして克服したのか。イーオンの三宅義和社長が聞いた——。(第3回/全3回)
元プロテニスプレイヤーの杉山愛さん
撮影=原貴彦
元プロテニスプレイヤーの杉山愛さん

勉強ではなく、テニスのためだった英語学習

【三宅義和(イーオン社長)】杉山さんが海外メディアのインタビューに英語で答えられている場面を拝見したことがあるのですが、とてもお上手ですね。

【杉山愛(元プロテニス選手)】いやいや、とんでもないです。

【三宅】杉山さんの英語との出会いはいつですか?

【杉山】幼稚園のときに週に1回だけ英会話スクールに通っていましたけど、本格的に英語と向き合うきっかけとなったのは、小学校2年生から通いだしたテニスクラブです。アメリカに本校のあるクラブだったので、アメリカ人のコーチも3、4人いて、英語でテニスレッスンを受けていました。

【三宅】それは貴重な体験ですね。

【杉山】はい。ですから私にとっての英語は一貫して「勉強のため」ではなく、「テニスのため」。普通の子供と比べたら英語への憧れはかなり強かったと思います。

【三宅】動機がまったく違うわけですからね。では中学校で英語の授業がはじまったときはかなり真面目に取り組まれたんですか?

【杉山】それはもう一生懸命やりました。というのも、小学校6年生のときに遠征兼合宿みたいな形で1カ月アメリカに行かせてもらったんです。日本人30人くらいで行って、現地の大会に出たり、現地の子供たちと一緒に練習したりして、本当に楽しい時間を過ごしたんですけど、そのときに「やっぱり英語って必要だな」と痛感したんですね。

【三宅】あまりしゃべれなかった?

【杉山】全然でしたね。でも、伝えたいことを伝えられないもどかしさをこのとき体験できたことは良かったと思います。

大会で仲良くなった海外選手と文通

【三宅】こんな学習法がオススメというものはありますか?

【杉山】とにかく使うのが一番ですよね。私は14歳からアジアを中心にジュニアの大会に出はじめたんですけれど、最初は本当にしゃべれませんでした。一方で、アジアの国々、特にインドンネシアやフィリピンの選手はみんな上手なんですね。フィリピンは英語が公用語なので上手なのは当たり前かもしれないですけど、やはり小さなころからテニスの英才教育を受けてきたような選手は裕福な家の子が多く、英語教育もきっちり受けているんです。

【三宅】なるほど。

【杉山】その子たちが英語で楽しそうに交流しているので、私もその輪に飛び込んで、ご飯を食べたり、トランプをしたり、一緒に日常を過ごすようにしていたのですが、本当にわからないんですね。冗談を言っているときに私だけ笑えなかったり、逆に真面目な話をしているときに私が勘違いして笑っちゃったり。結構恥ずかしい思いをしました。

【三宅】そこで日本人選手同士で固まらなかったところがすごいと思います。

【杉山】せっかく海外に来て、海外の選手と仲良くなれるチャンスなのにもったいないと思ったんです。

【三宅】素晴らしい心がけですね。それで徐々にわかるようになっていったわけですね。

【杉山】そうですね。海外で恥ずかしい体験をすることで、日本での勉強も一層身が入りましたし、大会で仲良くなった選手と文通をしたり、たどたどしい英語でしたけれど電話をしたりしていたので、そういうことも英語を学ぶモチベーションとしては大きかったですね。