第2回大会から女性参加は許されたけれど……

結局、女性が初めて参加できたオリンピックは、第2回パリ大会(1900年)からになります。しかもIOCから公式な同意のないオープン参加で、種目は男性が許容できるテニスとゴルフのみ。参加選手数は24カ国から集まった997人中、わずか22人(2.2%)にすぎませんでした。その後、徐々に女子の種目数は増えていき、第4回ロンドン大会(1908年)からは、ついに公式参加となりますが、残念ながらこのロンドン大会では、女子の優勝者には賞状しか与えられず、メダルはもらえませんでした。

ちなみに、種目数は増えたものの、それらはアーチェリーやフィギュアスケート、水泳など「良家の子女のたしなみ」といえるものばかりで、オリンピックの花形である陸上競技への女子参加は、なかなか認められませんでした。これでは一部の特権階級の子女しか参加できず、女子の参加人口が増えません。

そこで、1人の女性が立ち上がりました。フランス人のアリス・ミリアです。彼女は1917年に「フランス女子スポーツ連盟」を設立し、IOCに女子の陸上競技への参加を求めました。しかし、それが拒否されると、今度はイギリスやアメリカも巻き込んで1921年に「国際女子スポーツ連盟(FSFI)」を組織し、さらに強く働きかけ、翌1922年にはパリで「女子オリンピック」も主催しました。こうした彼女の精力的で粘り強い努力が実り、ついに第9回アムステルダム大会(1928年)から、わずか5種目ながら、IOCから女子の陸上競技が正式に採用されたのです。

水泳のバタフライレース
写真=iStock.com/LeeAnnWhite
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