古代オリンピックは“女人禁制”

なぜ女性のスポーツは発達してこなかったのでしょうか? それは女性が「か弱き存在」と見なされていたからです。社会が女性たちに求めるのは、運動能力よりも「しとやかさ」であり、そのため女性は長きに渡ってスポーツとは無縁とされてきました。女性たちがようやくスポーツを始めたのは19世紀後半と遅く、しかもテニスや乗馬、ゴルフなど、いわゆる「上流階級のたしなみ」とされるものばかりでした。

その女性たちが、近代オリンピック(19世紀末に復活したIOC主催のオリンピック)の時代になって、ついにスポーツの世界に足を踏み入れ、オリンピックへの参加をめざし始めます。しかしそれは、決して平坦な道ではありませんでした。「近代オリンピックの父」とされる人物であるフランスのクーベルタンは、意固地なまでの男性至上主義者だったからです。

「スポーツとは本質的に男性のするもの」「女性の競技は、おもしろみがなく見苦しく不適当」「オリンピックは男子のみの大会でなければならない」「男性の参加するすべての競技に、女性の参加は禁止」――これらはすべて、クーベルタンの言葉です。彼は「オリンピックは万人のためのもの」と言っていますが、どうやらその万人の中には、最初から女性はカウントされていないようでした。彼が女性に求めていた役割は、以下の発言からも明らかです。「息子を鼓舞し、優秀な選手に育てよ」「男性を称賛することで、男性の運動競技熱を高めよ」「(女人禁制だった古代オリンピックの時代のように)何よりもまず、優勝者の頭上に月桂冠を載せることだ」。

そういうわけで、記念すべき近代オリンピックの第1回アテネ大会(1896年)では、女性の参加は禁じられました。この時はメルポメネというギリシャ人女性がマラソン競技への参加を熱望しましたが、IOCに拒否されます。しかし彼女は大会当日、競技委員の目を盗んで男性競技者たちがスタートしたあとに走り出し、最終的に「マラトン~アテネ」間の40kmを、4時間半で走り抜きました。