リアルよりも「はっきり意見を言う」女性が目立つ

こうした現象、実は日本国内だけのことではなく、世界的に共通する社会問題となっている。今日、「#(ハッシュタグ)」を添えて、政治問題や社会問題にクリティカルな意見を述べるという行動は「ハッシュタグ・アクティヴィズム」と呼ばれ、世界中で用いられている手法だ。

me tooと書かれたメモを見せる白人女性の手元
写真=iStock.com/nito100
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その結果、SNSに意見を投稿するだけでなく、オンラインで署名活動を行うことで困難に直面している人々を守ろうとするオンライン・アクションに参加し、それをTwitterなどで報告する女性や、オンライン動画に顔を出して政治や社会の問題を語り、録画された動画データをYouTubeなどで公開している女性も増えている。

つまり、インターネットの中では対面型コミュニケーションの時代よりも、「はっきりと意見を述べる」「目立つ」女性が多くなっていることから、こうした女性たちをターゲットに攻撃を加える人々も増加しているのである。

「女性の役割を外れた女性」を罰したくなる

しかしなぜ、女性は男性よりも攻撃の標的になりやすいのだろうか? その背景には、私たちの社会に根深く残る女性へのステレオタイプの存在があると考えられる。

私たちの社会では依然として、「女性というのはいつも笑顔で優しく気遣いをしてくれて、意見を言うよりも言われた意見を受け入れる従順な存在だ」という前提が共有されている。そうした役割を期待してしまうがゆえに、そうした役割から外れた行動や発言を行う女性が現れると期待が失望へと変わり、こうした女性たちを罰してやろうという意識が芽生え、SNSでの攻撃的なコメントとして現れるのだ。

そして実は、女性が規範的なジェンダー役割を演じることへの期待は、女性たち自身の内面にも根深く埋め込まれている場合がある。従って、冒頭で示したようなSNS上での誹謗中傷は、男性だけでなく女性からも、ターゲットの女性へと向けられることがある。

さらに、政治や社会など公的領域に関わる議論は男性たちによって語られるべきであるという古い認識が、現在でも私たちの社会に残っている。こうした認識がアップデートされないまま、女性たちには政治や社会の問題について語るだけの「知性」はないはずだという誤った前提に基づき、そのような問題について論議する女性たちへの「実に感情的なコメント」が繰り出されてしまうのだ。