「感情的な投稿だからダメ」という批判
こうしたインターネット上に現れる男性からの――時には女性からの――女性への暴力に関する問いは、今日では多くの作家や研究者が共通して検討し、分析のための言葉を創り出している。
よく知られたもののひとつに、「マンスプレイニング」がある。Man(男性)とExplaining(解説する)を掛け合わせたこの新造語は、レベッカ・ソルニットの『説教したがる男たち』(ハーン小路恭子訳、2018年、左右社)に登場したものである。この言葉は、いついかなる時でも――たとえ専門外の分野のことであろうとも――女性たちの発言に向けて常に「上から目線で」持論を垂れ、隙あらば説教しようとする男性の行動原理があることを、私たちに可視化してくれる。
「トーン・ポリシング」という言葉もあり、オンライン上ですでに広く普及している。この言葉は、発言の内容よりも、「声を荒げている」とか「感情的である」といった発話のパフォーマンスを攻撃することによって、なにかに抗議したり批判したりしようとする者の口を封じ込めようとする態度を指し示すものだ。
「女性は感情的である」という性差別的なステレオタイプがいまだ広く普及していることから、トーン・ポリシングもまた、主に女性を対象として行使される暴力である。SNSでの語りはテキスト中心であり感情を表すことは困難であるにもかかわらず、女性によって投稿されたというだけで、その書かれた文字が「感情的である」と揶揄されることすらある。
「ミソジニー」=「女性嫌悪」だけではない
「ミソジニー」という概念も最近ではよく耳にするようになった。この概念は、直近では『ひれふせ、女たち』(小川芳範訳、2019、慶応大学出版)のなかでケイト・マンが論じている。日本では「女性嫌悪」や「女性への敵意」として訳されているが、この概念は単に女性を嫌悪するということを示すのではなく、むしろ、女性を男性よりも格下げ・過小評価し、私たちの社会において通常、価値があると考えられている「人間的達成、名声、誇りなどの領域における、物質代、社会的地位、道徳的評価、知的信任」(53ページ)といったものを女性たちの元から剝奪しようとする行為や欲望を指し示す。
従って、ミソジニーという概念を用いてSNSでの暴力を分析してみることで、インターネットやSNSといった、誰の目にも表示された公開された場において、女性を攻撃することで、女性から誇りや評価を剝奪し、その社会的地位を格下げしようとする攻撃者たちの欲望を可視化することができるだろう。