一流の社長は例外なく「しつこい」
成功する社長に共通する性格の一つに「粘り強さ」が挙げられます。言い換えれば、しつこい。決めたことはしつこくやる。簡単にはあきらめない。そうやって信念を貫く粘り強さが、成功につながるのだと思います。
ですから、部下にもしつこく言わなければいけないことは、何度も何度も言い続けます。
もっとも、この兼ね合いが難しい。しつこいくらいに言って、身体に染みこませるというのも一つ大事なことです。ただし、一挙手一投足まで細かいことまで指示してはいけない。それぞれが自分の裁量で自由にやれるようにしなくてはいけない。あまり口を出しすぎると、部下が自分で判断できなくなるので、判断できない人になってしまいます。
けれども、あとは任せたといって丸投げしてはいけないのです。関わりすぎてもいけない、関わらなさすぎてもいけないわけです。「規律の中の自由」が大事。ある程度自分で判断してやらせないといけない。ある程度規律を守れる人には、権限を与えて、ある程度自由にやらせる。その代わり、徹底的に結果が出るまでやらせる。なあなあの結果などは許してはダメです。
もちろん、それぞれの能力によっても違います。規律は守れるけれど、能力が足りない人もいますし、その逆で能力は高いけれど、規律が守れない人もいます。能力を見極めた上で仕事を任せるのですが、十分なアウトプットを出せることが大前提です。そうしないと、お客さまにも、周りの仲間にも迷惑です。規律を守れない人は論外です。
『老子』に描かれた「最高のリーダー」の条件とは?
『老子』のなかに、最高のリーダーとはどういうものかという話があります。かいつまんで説明すると、次のようなものです。
最高のリーダーは、その存在さえ意識されない。
その次は、敬愛されるリーダー。
その次が、恐れられるリーダー。
最低なのは、バカにされるリーダーである。
敬愛されている人は、良いリーダーです。慕われ、その人のおかげだとみんなが思うような存在なわけですから。そして、多くのリーダーはそれを目指します。
しかし、その上がある。「存在さえ意識されない」とはどういうことかというと、何かを成し遂げて手柄を立てても、部下はリーダーのおかげだとは思っていない。つまり、部下に自分の存在を意識させる、誇示するようなのはまだまだであるということ。存在を悟らせず、部下に「自分の成果だ」と思わせることができることこそ、最高の指導者だというわけです。
それは何もしないということではなく、「考え方」を普段から統一、徹底し、部下が「自分の力でできた」と思えるような「仕組み」をつくり上げているのが、最高のリーダーであるというのです。
これは、私もそのとおりだと思います。その人がいないとうまく回らないようでは、本当の良いリーダーではない。リーダーと同じ考え方を持ち、誰がやってもできてしまうような仕組みを考え出せたら、自分がいなくなっても、組織は長続きしていける、ということです。