政府が日本学術会議の会員候補6人の任命を拒否した判断をめぐり、「学問の自由を守れ」という主張が出てきた。だが国際政治学者の篠田英朗・東京外国語大学教授は、「日本学術会議は研究機関ではなく、『学問の自由』とは全く関係がない、むしろ憲法規定を、特定集団の特権を正当化するために濫用することのほうが危険だ」と指摘する——。
日本学術会議の会員任命拒否に抗議する集会の参加者ら=2020年10月6日、首相官邸前
写真=時事通信フォト
日本学術会議の会員任命拒否に抗議する集会の参加者ら=2020年10月6日、首相官邸前

何が問題の背景にあるのか?

日本学術会議会員の任命拒否問題について、多くの人々が意見を述べている。その中で私は、「日本学術会議問題で、法律家は法に従って議論しているか?」という題名の文章を書いた。「学問の自由」という法原則について間違った理解が日本社会に浸透していないか、心配になってきたからだ。その後、この問題の背景に、より政治的な戦後日本の社会構造を反映したかなり大きな問題があることも明らかになってきたと思う。

ちまたでは任命拒否された6人が2015年安保法制に反対していた、ということが報じられている。それも関係しているのかもしれないが、その程度なら他の会員の中にもいる。もう少し踏み込んだ理由がなければ、6人だけが摘出されることはなかっただろう。筆者は、官邸の内情を調査したわけではないが、公開されている情報を見るだけでも、判明してくる点は多々ある。もう少し現状の整理が必要だろう。

創設から現在に至る紆余曲折

日本学術会議が、軍事安全保障研究(と同会議が見なす研究)を禁止する行動を熱心に行っている組織であることが、今回の事件で広く知られるようになった。日本学術会議は、創設期の1950年「戦争を目的とする科学研究には絶対従わない決意の表明(声明)」や、1967年「軍事目的のための科学研究を行わない声明」を伝統として持つ組織だが、当時は明白に日本共産党の強い影響下に置かれていたと言われる。共産党が組織動員して、選挙を通じて党員を会員として送り込んでいた。

政治色の強い同会議に対して、設立直後の吉田内閣の時から政府は民営化を切り出していたが、学術会議側が一貫して拒否し続けてきた。中曽根康弘首相は、この現状にメスを入れるため、推薦者を全員任命するという条件と引き換えに、選挙による会員選定をやめさせて推薦制に切り替えさせた。現在、この1983年の「談合取引」内容を守る義務が菅内閣にあるといった主張も見られるが、「日本学術会議法」の文面にてらせば、中曽根「取引」のほうが法からの逸脱だった。