ネットでの自由な議論では政治的な妥協点は見つけにくい

また、活動はネット内に留まることがなく、2010年頃からは在日コリアンに対する差別的な言辞を掲げる街頭デモ等が繰り返されるようになった。いわゆるヘイトスピーチである。まさに極端な言説や行動をとり、社会に大きなインパクトを与えている「極端な人たち」といえる。

なお、排外主義と関わらないためネット右翼ほど話題になることはないが、逆サイドのネット左翼と言われる人々ももちろんいる。このようなネット右翼とネット左翼は普段はそれぞれ隔絶され分離したコミュニティ・繋がりの中でコミュニケーションをしている。

しかし、ひとたび叩ける材料があればこぞって批判とも言えないような差別的な誹謗中傷をすることも珍しくない。当然両者が分かりあうのは困難で、ネットでの自由な議論によって政治的な妥協点を見つけられる可能性は、極めて小さい。

極端な人は社会に対して否定的で、不寛容で、攻撃的

政治に限らない、ネット上に批判や誹謗中傷があふれる「ネット炎上」全般についても、そのメカニズムが近年明らかになってきている。

私が以前、慶應義塾大学教授の田中辰雄氏らと研究したところによると、ネットで批判や誹謗中傷を書き込む人は、「ネット上では非難しあっていい」「世の中は根本的に間違っている」「ずるい奴がのさばるのが世の中」などの考えを持っている傾向があることが分かった。

社会に対して否定的で、不寛容で、攻撃的で、まさに極端な考え方を持っている人たちだ。そういった「極端な人たち」が、ひとたびネット炎上が発生すると、我先にとネット上に批判や誹謗中傷を書き込みに行くのである。そして、中には大量のアカウントを作成して執拗に攻撃するものまで現れる。

ネット炎上がひとたび起こると、ネット上は批判や誹謗中傷であふれかえるように見え、「この人はこんなに叩かれているんだ」と思いがちだ。しかし炎上参加者のこのような極端さを知ると、まるで「極端な人」がネット世論をリードしてしまっているようにも見える。