富の大半を慈善事業に投じ、政治に影響を与える

世界に目を向ければ、天才的な投資家はたくさんいる。ジェシー・リバモアやジョージ・ソロス、ジョン・ポールソンのように世界を揺るがせるような混乱の中、驚くほどの大金を手にした投資家もいる。しかし、「賢人」と呼ばれるのはバフェットだけだ。理由はバフェットが大富豪でありながら決して贅沢に溺れることなく、その富の大半を慈善事業に投じたり、金持ち優遇税制の非を訴えアメリカの歴代大統領に影響を与えたりするほどの力を持っているからだ。

その影響力は多方面に及び、アメリカを代表するIT企業グーグルやアマゾン、フェイスブックの創業者たちもしばしばバフェットの言葉を引用することで、自分たちの経営の正しさを証券市場に訴えている。言わば、バフェットは世界一の投資家であり、世界で最も尊敬されるお金持ちの1人と言える。

「生まれた場所と時期が素晴らしかった」

バフェットが生まれたのは1930年8月、つまり大恐慌の10カ月あとのことだ。大恐慌によってアメリカの株式市場は第一次世界大戦の戦費に近い額を失い、当時、ユニオン・ステート銀行で株のブローカーとして働いていた父親のハワードも2年後には銀行に預けたお金も仕事も失っている。やがてハワードは証券会社を開業、「極端なくらいに質素なやり方で、しかし着実に努力する」ことでバフェット家の生活水準を中流階級にまで押し上げることに成功するが、バフェットはまさにこうした混乱の中に生まれ、そして苦しい中で懸命に努力する両親を見て育っている。こう振り返っている。

「子どもの頃、いいことばかりに囲まれていた。両親から財産をもらっていないし、もらいたくもなかった。でも、生まれた場所と時期が素晴らしかった。言ってみれば、卵巣の宝くじで大当たりしたんだ」
スノーボール(改訂新版)ウォーレン・バフェット伝』(アリス・シュローダー/訳・伏見威蕃/日経ビジネス人文庫)

バフェットが成功への道を歩み始めたのはわずか6歳の時だ。6歳の時から近所の人たちを相手にチューインガムやコカ・コーラを売り始め、5枚1パック入りのチューインガムを売って2セントの利益、コカ・コーラを一本売って5セントというささやかなビジネスながら、6歳で初めて銀行口座を開設している。