4人の子どもを抱えたまま、無職に
小さな村にはさまざまな憶測が流れた。
「森田劣勢の責任を詰められた」
「買収容疑で検挙される動きを察知した」
噂は大きくその二つに集約されたが、真相は藪の中。だが、小田中の怪死は敵側に有利に働いたようだ。結果は、田村が1529票、森田が1286票。243票差で現職が勝った。
森田は無職になった。
4人の子どもたちをどうやって養っていけばいいのか――。気づけば、十円ハゲが3カ所にできていた。森田は46歳にして初めてハローワークの門を叩いた。
「どの条件を見ても、記者の経験なんてさっぱり役に立たないじゃないか……」
路頭に迷っていたころ、同級生の兄が手を差し伸べた。
「うちで働けよ」
行き着いた先はコンビニだった。
「村長選で頑張る姿を見ていたので、『4年間は面倒見てあげるから次は頑張れよ』と。でも経理までは任せていないから、アイツは経営の厳しさまではわかっていないよ」
そう話すコンビニのオーナーは、田村陣営を支えた永井工業の元社員である。商売を続けていくにはムラ社会のしがらみを意識せざるを得ない立場でもある。だが、森田のように選挙を戦い抜けるほどのタフな人材は、コンビニならではの慢性的な人手不足を補うのにもってこいだったようだ。
お辞儀もろくにできず、弁当をぶちまけ…
とはいえ、森田は未経験者である。初めはお辞儀さえろくにできなかった。弁当をレンジで温める際に醤油のパックを外すのを忘れ、派手に爆発させたことは数知れない。足を滑らせてカルビ弁当を床にまき散らしたこともあった。選挙に負けてからも更新し続けていたブログに綴る失敗談には事欠かなかった。
一方、長男が帯広市内の高校に入学したことで、月3万円もかかる交通費が苦しい家計にドッシリとのしかかった。専業主婦だった妻も老人福祉施設に職を求め、週2度の夜勤があるシフトをこなし始めた。家族のカタチは大きく変わった。