もちろん、イノベーターと初期採用者にあたる層で使用率が高いのは予想通りであり、次に伝播すべきマジョリティ=「主流派」がまだ低いのは、ジェフリー・ムーアがいうところのキャズム(乗り越えるべき谷)がここにあるということを物語ってくれている。(この調査は2010年の5月から6月にかけて行われたものである。6月は南アのワールドカップを皆でつぶやきあって盛り上がった記憶もあり、昨年はツイッターに関する特集が多くの雑誌で組まれたが、それでもまだ「主流派」の使用率は調査段階ではそれほど高くないのである。)しかし、ここで注目すべきは、これまで遅滞者とされてきた「苦闘派」そして「あきらめ派」での使用率がむしろ「主流派」より高いことである。これはいったい何を意味するのか?

「苦闘派」は目標を喪失し苦難から逃避する層であると規定されており、これまでは、情報ソースも限定的であるとされてきた。しかし、「苦闘派」を最も「苦闘派」ならしめているものは現実世界からの疎外感である。現実世界とのずれを否応無く感じさせられる消費者の情報ソースとして、ツイッターのようなソーシャルな、つまりより消費者に解放されたメディアが浮かび上がってきてもなんら不思議ではないということであろうか。逆に言うと、世間と「等身大」であることを是とする「主流派」にとっては、ソーシャルなメディアへのニーズがまだ世間で思われているほど顕在化していないということであろうか。

先ほど、「苦闘派」だからといって単に価格だけを訴求するのではなく、ブランドがどのような関係をもとうとしているのかが重要であると書いた。そして、それは関係性そのものだけでなく、関係づくりの仕方にも及んでいる。先ごろの震災で多くの人が気づいたように、メディアがますます解放されていく流れは止めようもない。それは、ブランドがますます本気で消費者との関係を築いていかねばならないことを意味する。どれだけ顧客主義を謳っていても、それがただ一方的な関係づくりであっては、消費者は受け容れてくれない。ブランドもまたコミュニティの一員であり、消費者からもそういう目で見られる。そうでなければ、真に「親しみのある」、「消費者のことを考えてくれる」ブランドとしてはとらえてくれないのである。