役者は「気持ち悪い商売」かもしれない
『真田丸』の真田昌幸について、三谷さんがエッセイでこんなことを書かれていました。
(『三谷幸喜のありふれた生活 14 いくさ上手』朝日新聞出版/2016年)
役者としてこれほど嬉しいことはありません。まるで、生みの親から認めてもらえたような心地です。僕には、何もない。これからもこの仕事を淡々と続けていくのみ。あらためて決心させてもらいました。
役者はつくづく不思議な稼業です。気持ち悪いといえば、このうえなく気持ち悪い商売かもしれません。なぜなら、監督や脚本家の求めている人物像がわかると、自然に体がそのように動くのです。役づくりするまでもなく。
僕の大好きな歌舞伎役者の片岡仁左衛門さんが、こんなことをおっしゃっている新聞記事を見たことがあります。
「役はつくるものじゃないのね。過去にやった役を引き出すようなこともしない。演じる役をしっかりつかまえ、役の気持ちにさえなれば、自然と出てくるもの」
鏡を見て化粧する間に、「スーッと」役になっているのだといいます。
あ、一緒だ。僕も、そうだ、と嬉しかったですね。ああ、よかったんだ、と。
昌幸の台詞にも、〈わしは勘で生きている〉というのがありますが、自分も同じところがあります。自分からは何も生まれない。台本や台詞を読んでその人物の気持ちになると、やりたいことがパッと頭に浮かぶんです。直感です。
若い頃よりも、仕事へのエネルギーは上がった
67年も生きていると、いろいろなことがあります。二度と立ち直れない、と思ったこともありました。振り返れば、時の流れと共に自分があります。最近では65歳を過ぎた頃からガクンと体力が落ちて、鬱っぽい気分から抜けられない日もあるのですが、その反動でしょうか、仕事に対するエネルギーは若い頃より上がった気がするのです。大事に、丁寧に、臨めるようになった。必死で取り組んでいれば、自然に反映される。その積み重ねに、直感的に素直になれるかどうかだと思っています。
大河ドラマ『真田丸』の昌幸役は、長年のファンばかりでなく多くの方々が受け入れてくれるきっかけになりました。僕の役者人生で、迷うことなく「一番」といえる作品です。仕事を続けてきて40年以上経たうえでなお、集大成といえる作品に恵まれたのですから、これ以上の幸せはありません。
三谷幸喜さんという類まれなるクリエイターとの出逢いは、僕にとって、第二の人生の転機です。一度目は、20代の役者デビューのとき。そして、新たな役者人生が始まった二度目が、三谷さんとの出逢い。60代のいま、このときです。