社会現象になった「では、おのおの、ぬかりなく」
耳に残るといえば、この台詞も同様です。
〈では、おのおの、抜かりなく〉
徳川勢七千に対し、真田軍は二千。寡兵が大軍を破った守城戦として史実に残る上田合戦での、真田昌幸のひと言です。その後、決め台詞としてドラマの要所要所に登場し、真田信繁にも受け継がれました。のちに社会現象になったともいわれ、ドラマ撮影後は訪れた先でよく、「あの台詞を言ってください」と頼まれました。ご当地長野県上田市では、市役所や警察署で使っているとも聞き、嬉しかったですね。テレビを観た人が、それだけ昌幸に自分自身を投影してくれていたということです。役者冥利に尽きます。
「おのおの」、これが、昌幸らしさではないでしょうか。
晩年、関ヶ原合戦の戦後処理で配流生活が10年余りつづき、病で息絶える無念の最期、昌幸は息子に心得を託します。
〈わしの立てる策に場数などいらん。心得はひとつ。軍勢をひとつの塊と思うな。一人ひとりが生きておる。一人ひとりが思いを持っておる。それをゆめゆめ忘れるな〉
天命をまっとうする昌幸に、三谷幸喜さんが言わせた言葉です。
「生きよ」というまっすぐな願い
一人ひとりが生きている。数じゃない、データじゃない。すべてが一人ひとりの人間なのだ、というメッセージは、いまの世の中にも通じる響きです。当時、大河ドラマのインタビューで、三谷さんはこんなことを言っておられました。
「僕にとってユーモアは、人を描くということ。年表にはないけれど、生きている人が泣いたり、怒ったりする息遣いの中で、ユーモアを描いていく」
だからこそ僕は、三谷さんの台詞を通して、一人の人間を生きられたのです。
命が燃え尽きる瞬間、昌幸は信玄公の幻を見ます。
〈お館さまぁ……!〉
馬のいななきと蹄の音を耳にしながらの叫びは、人生の戦をまっとうした男の最期です。
思えば、昌幸の台詞すべてに、「生きよ」というまっすぐな願いが込められていたのではないか。ふと、そんなことを思うのです。
〈これは永遠の別れではない。いずれ会える日を楽しみにしてるぞ。では、おのおの、抜かりなく……〉
生きよ。
人生は、挑戦よ。
こんな大博打を楽しまなくて、いったいどうする。
負ける気がせん……!
とことん、生きよ──と。