仏教以外に本来の哲学を説いた宗教はない

ただ私には幸運にも、ものを書くという生き甲斐もあります。ときどき若い頃に書いた小説を読み返すのですが、今読むと幼いと思える部分がある。だから「今の俺ならこう書くだろう」などと、あれこれ考えをめぐらすのは面白いものです。

一橋大学在学中に芥川賞を受賞した当時。自室で原稿を執筆する。
一橋大学在学中に芥川賞を受賞した当時。自室で原稿を執筆する。(毎日新聞社=写真)

先日、ライフワークのひとつを完成させました。私自身が心のよりどころとする法華経の現代語訳と新しい解釈を記した本です。偉い坊さんたちが読んだら解釈が違っていると怒るかもしれませんが、私自身の経験から私なりに納得のいく解釈を導いたものです。これを持ってこれから全国を説法して歩こうかと思っています(笑)。

といっても、私はある特定の宗教・宗派の熱心な信者というわけではありません。釈迦が人生の中で実践し考え抜いた末の認識を弟子たちが書物にまとめたのがお経、仏典です。その中でも法華経には実に多くの学ぶべき知恵が詰まっていると感じ、私自身の行動や思考の指針としています。だから私は宗教というよりも、実践的な哲学として釈迦の言葉に接しているのかもしれません。

哲学とは存在と時間を考える学問です。そうした本来の意味の哲学を説いた宗教があるかというと、仏教以外にはないだろうと思います。

たとえばキリスト教は、つまりはイエス・キリストの一代記です。人間の愛について、虐げられたユダヤの民への共感をベースに説いている教えですが、そこに哲学はありません。あとからギリシャ哲学を援用してきて、神学というものが出来上がったにすぎません。

これに対して仏教は、たとえば時間の推移が存在の形を変えていくという認識を世界で初めて説きました。それを端的に表した言葉が「色即是空 空即是色」です。

釈迦自身は来世などというものを説いてはいません。浄土宗など後世の仏教が極楽浄土を強調したから多くの人が勘違いしていますが、初期の仏教には極楽や地獄という概念はないのです。釈迦は今をどうやって生きるかということをこそ説いています。来世も極楽もありません。私に言わせれば、そんなものを信じていたら甘ったれるだけです。

日本の仏教の系譜