なぜここまで炎上してしまったのか

およそおしゃれは機能性との両立が難しいもので、清潔感を保って仕事のしやすい身なりで会社にきているのに、なぜ文句をいわれるのか。もちろんそういう女性がタイプではないと思う男性はいるでしょうが、女性の方もそんな男性を相手にする必要はないわけで、「大きなお世話」としかいいようがありません。男性だって寝ぐせやひげの剃りのこしやネクタイの長さが合ってないことをいちいちいわれたら(特定の人がそうやってチェックしてくれるのでうれしい、と思うことはあるかもしれませんが)、「ほっといて」といいたい人もいるはずです。

ルミネにしても、炎上した他のCMにしても、抗議の声を上げたのは女性です。だからこそ、その抗議する層にあわせて、西武・そごうは違うメッセージを打ち出すわけです。一方で、「何がいけないのかわからない」という女性の声もありました。表現に対して賛否両論があるのは当然ですが、それぞれを分析して考えると、問題の根源はルミネのCMが訴求層を分断してしまったことにあるのではないかと思うのです。

受け手の価値を一方的に下げ、「上げましょう」と発信する

髪を巻く女性と巻かない女性。
「需要」に応え、「職場の華」になりたいと思う女性とそうではない女性。
忙しかろうと、外見をきちんとすることを最優先するのか、仕事に注力するのか。

およそ広告を作るときに、訴求層を分析して絞り、ターゲットを想定するのは当然ですが、その分断線を強調してあおると反発が起こる。そうしたパターンを見てとることができます。ただこれは実は何も説明したことにはなっていません。発信する側が分断しようと思ってやってはいないため、「地雷」は炎上した後にしかわからないことになるからです。

そこでもうひと言つけ加えるとすれば、これらのCMが炎上したのは、誰かの価値を一方的に下げ、「それを引き上げましょう」という形で発信をしていることが一因ではないかと思うのです。たとえば大都市部の駅によくある予備校の広告を例にして考えてみましょう。「第一志望はゆずれない」というキャッチコピーは受験生相手なら誰にでも通じるでしょう。「ゆずれない」というほどの固い決意はなくても、ほかよりは行きたい学校だから第一志望なわけで、「第一志望に通りたい」のは誰しも同じです。

「なんで私が○○大に」は、成績の低い比較対象が過去のその人自身なので、誰かの価値を下げはしません。これを「60点以下じゃ大学危ない」と基準までつけて分断してあおってしまうと、「アタシには関係ないよ」という層を生み出すのは当たり前です。