常連客だった夫と純喫茶をオープン
本名を加地律子という。
1945年(昭和20年)に福岡県で生まれ、大分県との県境である豊前で育った。祖父は炭鉱の山師で、祖母は100人もの炭鉱夫を取りまとめる女傑だった。
「その血はオレにも流れているんだよ」
9歳年上の姉を頼って上京してきたのが1963年、りっちゃんが18歳のときのことだった。東京・神田で喫茶店を経営していた姉が出産休暇に入ったため、急遽、妹の律子がピンチヒッターとして働くこととなったのだった。神田駅前の一等地にあったこの店は、後のバブル期に売りに出され、億を超える額で売買され、現在では大きなビルが建っている。
無事に姉が出産した後も、りっちゃんは東京に残って店の手伝いを続けた。このとき彼女は、店に通っていた大学生にひと目ぼれして結婚を決意する。それが現在まで続く、夫・孝道との出会いだった。
「当時、大学生だったカジくんが毎日コーヒーを飲みに来ていたの。そこをオレがナンパして、そのまま結婚しちゃったのよ。いまはこんな見てくれになっちゃったけど、むかしはカッコよかったんだから(笑)。ねっ、カジくん!」
妻の言葉が聞こえているのか、いないのか。夫は黙ったまま、厨房の奥でせわしなく働いている。
数年の交際期間を経て、1968年にふたりは結婚する。そして、1970年11月に、夫とともに「クイン」をオープンした。当初は現在のような「食堂」ではなく、「純喫茶」としてのスタートだった。
日中の営業から「リアル深夜食堂」へ
「開店当初は普通の喫茶店だったから、お客さんはサラリーマンが中心。朝はモーニングセットを食べて、昼はランチ、コーヒーを飲んでゆっくり過ごす。そんな感じよ。営業時間も朝8時から夜8時までだから、その日の売り上げを持って、『よし、みんなで飲みに行こう!』って店に繰り出す。楽しかったわよ、あの頃は」
バブル景気に沸いたその過程では「24時間営業」も行っていたという。
「お客が多かったから、一時期は24時間営業もやっていたけど、こんなに小さな店でも最低でもスタッフ3人は必要なのね。多いときには10人は雇っていたからね、これでも。オレだって一応、人間だから寝ないともたないし、あの頃は若かったから、麻雀やったり、サウナに行ったり、いろいろ外で悪いこともしたかったし……。
だから、スタッフたちのシフトを回さなくちゃいけないんだけど、いまみたいに携帯のない時代でしょ? 外出先から確認の電話すると、『○○ちゃんがまだ来ていません』ってことが日常茶飯事。あの瞬間は胃が痛くなったよね。でも、そんなにして一生懸命やったって、そんなに利益はないのよ。要するにお客さんも、オレがいなくちゃお酒も飲まずにコーヒー1杯で帰っちゃうから。それで24時間営業はやめて、深夜から朝までの営業にしたのよ」
まさに、リアル深夜食堂が誕生した瞬間だった。