定食屋と喫茶店を合わせたメニューがずらり

深夜営業に特化したことで、客層ががらりと変わった。仕事中のサラリーマンは影を潜め、代わりに「クイン」の主役となっていったのが、新宿二丁目を拠点とするゲイやレズビアンたちだった。

「結局、この街で働く人たちがお客の中心になったのよね。新宿二丁目での仕事が終わってから、この辺ではちゃんと食べられる店がなかったから。やっぱり、みんな米が食べたいのよ。さんまの塩焼き、納豆、煮物、ヒジキが食べたくなるの。で、お客からの、『これが食べたい、あれが食べたい』って希望を聞いているうちに、これだけのメニューが増えて……。でも、おかげでみんなよろこんでくれるよ」

壁にかけられているホワイトボードには「本日の定食 オムレツ 500円」と書かれてあり、その横には「一品料理」が並んでいる。

ポテトサラダ 三〇〇
おひたし 三五〇
肉の生姜焼 五〇〇
煮物 四五〇
エビフライ 六〇〇
カキフライ 六〇〇
鶏のからあげ 六〇〇

……などなど、その日の仕入れに応じたメニューが全部で15個も手書きで書かれてある。さらに、机に置いてあるメニューを眺めてみる。

そこには、「ハンバーグ 400」「ピラフ 550」「ドライカレー 550」など喫茶店時代のメニューを彷彿させるものもあれば、「しそ昆布 150」「冷奴 200」「なめこおろし 350」など、定食屋ならではの小鉢メニューも数多く並んでいる。

まともに食事をとるのが難しい深夜帯で、これだけの手作りメニューが安価で食べられるのならば人気が出るのも当然のことだった。

この街の住人にとって、「クイン」が欠かせない店であることはすぐに理解できた。

5軒飲みに行っていたのが3軒、2軒になり…

「クイン」をオープンしてからの50年間、新宿二丁目も大きく変貌を遂げた。この間、景気のいいときもあれば、どん底状態だったときもある。

りっちゃんのなかで思い出に残っている「楽しかったとき」は、1980年代後半から1990年代にかけてのバブル期だという。

「やっぱり、バブルよ。四の五の言う前に、あの頃は日本中がお祭り騒ぎだったからね。それは新宿二丁目も一緒。銀行屋さんも、ホームレスさんも、みんな不自由していなかったから。銀行屋さんはこちらが黙っていてもお金を持ってやってきたし、ホームレスさんだって、あの頃はコンビニが捨てる新品の弁当をいつも食べていたぐらいだから。いまの日本には、あの頃の元気はもうないよね」

当然、新宿二丁目からも「あの頃の元気」は失われた。りっちゃんは実感している。

「新宿二丁目も変わったよ。人だってずいぶん減ったし、外国人ばかりになったし。そもそもお客がかなり減ったからね。むかしは一晩に5軒飲みに行っていた人が3軒になって、3軒飲みに行っていた人が2軒になって、1軒になって。あるいは、たまに二丁目に来ていた人が全然来なくなって……。景気はよくないよね」