データはあくまで「準備」や「備え」であり、困ったときに頼ればいい、というのが野村監督の基本的な考えです。何を投げてくるかわからない、打者が何を狙っているのかわからない、そんなときにはデータに従って動いてみる。でもそうではないときは、自分なりに考えたこと、感じたことに沿ってプレーする。データは、自分たちが考えて野球をするための材料でしかないんです。

といっても、やっぱりそのためのミーティングにはすごく時間とエネルギーを使っていました。野村監督のミーティングを10とすると、当時の他球団は3か4くらいしか時間を割いていなかったのではないでしょうか。それくらいデータを重要視していたことは確かです。

最近の野球は、「トラックマン」などを使って打球速度やボールの回転数を計測できたりして、データ量が昔とは比べものになりません。だから今に比べると扱うデータそのものはそこまで多様ではありませんでしたが、野村監督が当時から重視していたのは「カウントごとの攻め方」でした。

具体的にいうと、2ボールや3ボール1ストライクというような打者優位のカウントになったとき、苦しい立場の投手は何を投げるのかといったことです。あとは投げる球種ごとの投手の癖など、当時の野球としては相当細かく情報を集めていたと思います。

でも、データに頼るときの鉄則があって、それは「外れても文句は言わない」ということ。「このピッチャーはこういうカウントならこれを投げる」という傾向を把握していても、100%そうなる保証はありません。スコアラーが一生懸命集めてきたデータを自己責任で使わせてもらうわけですから、それが外れても文句を言う筋合いはないということです。そういう意味でも「データは重要だけど、あくまで参考に」ということでしたね。

神宮球場で開催されたヤクルト球団設立50周年記念OB戦にて打席に立った晩年の野村氏(写真中)と、それを見守る真中氏(写真左)(2019年7月11日)。
AFLO=写真
神宮球場で開催されたヤクルト球団設立50周年記念OB戦にて打席に立った晩年の野村氏(写真中)と、それを見守る真中氏(写真左)(2019年7月11日)。

情報戦はグラウンドの外でも

あとは、野村監督というと皆さん「奇襲」というイメージがあると思いますが、実際はそうでもないんですよね。どちらかというと「動かない野球」で、バントとかエンドランみたいにベンチが仕掛けていくことはあまりなかったんです。

僕は現役時代2番バッターを多く任されました。他球団ならバントをすることが多いと思いますが、比較的自由に打たせてもらいました。野村監督も「俺は臆病だから動けない」ってよくボヤいていましたよ。「スクイズなんて、怖くてとてもできない」って(笑)。