ところが、ある日、ファンから1冊の本を渡されました。『バッティングの科学』。アメリカで刊行された書籍で本文は英文でした。翻訳されたのは、1978(昭和53)年でした。野村さんがこの本を手にしたのは、1955(昭和30)年頃でした。驚いたことに、献本されたファンが英文を自ら翻訳して、野村さんに手渡したのでした。

野村さんはこの翻訳文を熟読して、ピッチャー一人ひとりに癖があることをつかみ、研究して打てるようになりました。これが後年、野村さんの代名詞になった「野村ID野球」のさきがけでした。

野村さんは、80メートルの遠投を運のよさでクリアされました。この運のよさもまた奇跡です。つまり、野村さんには2回も奇跡があったのです。

「先を見込んでの努力」を続けた川崎市の社長

野村さんの2回の奇跡について触れました。しかし、「これは奇跡でしょうか?」。私は奇跡とは思いません。野球においても、経営においても奇跡はないというのが、私の考えです。先を見込んでの努力としか思えないというのが、私の考えです。

2019(平成30)年1月に、お客様の「事業発展計画発表会」に出席しました。川崎市にある産業廃棄物処理をされている会社の発表会でした。この会社は、社長が勉強して、勉強して、1990年代に大きい焼却炉を建設しました。

いまから40年ほど前の川崎市は日本一の公害の街でした。それを払拭しようとして、大きな焼却炉を建設しようとした社長でしたが、その建築基準は全国でも一番厳しかったのです。しかし、社長は怯むことなく、何としてでも焼却炉をつくるという固い決意がありました。厳しい基準に合致した焼却炉を、銀行から何億もの融資を受けて、その社長は完成させたのです。

経営には運の良い偶然は起こり得ない

その数年後に、何が起こったか。そうです、ダイオキシン問題でした。厳しい基準をクリアしているこの会社は、他の同業社がどんどん倒産していく中でどんどん仕事が入ってきました。

社長はこの発表会で、「奇跡だった」とおっしゃられました。しかし、私はその後の基調講演で申し上げたのは、「奇跡なんかない。経営には、運の良い偶然は起こりえない。すべては必然なのです」と申し上げました。

「野村さんの奇跡もそうですし、この会社の奇跡もそうなのですが、普段から努力を積み重ねているところに奇跡の神は舞い降りるもの。だから、奇跡は必然なのです」と申し上げたのです。

今回のコロナ騒動もまた、普段から何もしてないところには、「まさかの坂」でつまずいているはずです。普段からの備えをしているところは、苦しみながらも生きぬく力があります。