ソーシャルメディアが増幅する「悪」

SNSにおけるヘイトをあおるデマは日本だけの問題ではありません。2018年にはメキシコのある街で「子供を誘拐し、臓器を売りさばいた」というデマを信じた群衆により、2人の男性が民衆に殺害され、同じようなフェイクニュースによる民衆の私刑は、インドのアッサムやバングラデシュのダッカでも確認されています。

Jini『好きなものを「推す」だけ。共感される文章術』(KADOKAWA)
Jini『好きなものを「推す」だけ。共感される文章術』(KADOKAWA)

さらに、イギリスの選挙コンサルティング企業、ケンブリッジ・アナリティカは、SNSから得た個人情報をもとに有権者たちの心理に作用するプロパガンダ的な広告を作成。当初不可能に思えたドナルド・トランプの大統領選当選に寄与したとされ、FacebookのCEOであるマーク・ザッカーバーグが米議会の公聴会で謝罪する騒動にまで発展しました。

インターネットやソーシャルメディアを「夢の技術」と信じる人は既に少数派でしょう。

人の脆弱ぜいじゃく性に付け込み、無から憎悪や憤怒を生みかき立てる。ありもしない「月給を100倍にする方法」を売り込む。利用者の声と偽って、企業が雇ったサクラにレビューを書かせる。自分が登録した個人情報を不正利用する企業が、選挙の結果にまで影響を及ぼす——。

日常的にスマートフォンでユビキタスにつながる私たちでさえ、この極めて強大な技術が、純粋な善意や良心だけで作られていないことに気付いていることと思います。

個人が「これが好き!」と語ることの威力が増している

しかし、インターネットと共に生まれ育ったデジタルネイティブ世代として、今急激に高まりつつあるネットへの悲観に対し、私はNOといいたい。確かに現状は課題が山積みです。間違った情報、ヘイトを煽る発信、直接的・間接的なハラスメントが満ちています。

それでも、誰もが発信できるネットなら、私たち自ら発信することで、この現状を変えることができるはず。ネットに対する落胆が反動として生まれ始めた2020年代だからこそ、改めて、私たちがネットをどう使うべきか考えてみたいと思います。

そして、私なりに考えたその答えが、「推し」です。推しとは、何かが好きだと発信することを指すネットスラング。私は○○推しだと発信することで、周囲に○○の魅力や価値を伝えることができます。推すものは、なんだっていいんです。

好きな映画、尊敬するタレント、いつも聴いているラジオ、行きつけの居酒屋……なんでも、SNSで「これが好きだ」と発信する。そしてただ発信するだけでなく、周囲に自分の推しに興味を持ってもらい、それを広めていく。

実は、任天堂もワークマンもタピオカミルクティーも、誰かがSNSで推したことで売れました。推しは自己満足に留まらず、自分が好きな、しかし市場的には売れていないものを皆に知らしめ、同じ感動を知ってもらうことさえできるのです。