「政治家の妻としてではなく、自分の人生を生きたい」

「仮面夫婦」「家庭内別居」といううわさは何度か週刊誌で報じられている。

以前から、安倍の父親・晋太郎の妻である洋子との嫁姑戦争があり、洋子は息子の安倍に、「彼女とは別れなさい」といったという話も漏れ聞こえてきている。

持病の潰瘍大腸炎の悪化もあり、首相の椅子を放り投げた第1次安倍内閣の頃は、慣れないファーストレディとして、かいがいしく夫の面倒を見ていたようだ。

だが、その後、民主党の野田佳彦首相(当時)が、まさかの解散を打ち、自民党へ政権が戻ってきた。そして安倍は再び首相の座に返り咲いたため、昭恵のこれからの人生に狂いが生じる。

彼女は、安倍の辞任後にこう考えていたと、ノンフィクション作家の石井妙子に『安倍昭恵「家庭内野党」の真実』の中で話している。

「首相夫人を短いながら経験し、『どん底』も知って、これからは政治家の妻としてではなく、私らしく自分の人生を生きたいと強く思った」

その象徴的なのが、東京・神田の路地裏に作った居酒屋「UZU」だった。店名は、スピリチュアル好きな昭恵らしく、アメノウズメノミコトからとっている。

スピリチュアルは、この夫婦をつなぎとめている唯一の共通の“趣味”かもしれない。

安倍は、寝る前に祝詞を唱えているといわれる。安倍家はもともと、スピリチュアルマスターを自称していた江本勝(2014年死去)と関係が深く、父親の晋太郎は江本に「波動」を見てもらっていたという。その江本と昭恵も親しくなり、大きな影響を与えられたと、自分でも語っている。

自身のブログに「もしも私が放射能だったら……」

昭恵の生き方は、第2次安倍政権後、さらに動きが激しくなってくる。

その前から「家庭内野党」を標榜していたが、東日本大震災後には反原発をいい出し、東北地方の防潮堤建設に対して、見直すべきだと主張した。

被災地にも何度か足を運び、防潮堤建設を考え直す運動にも関わった。山口県知事選に出馬した、「脱原発」を掲げる無党派の飯田哲也と親しくなり、反原発の象徴になった山口県の祝島のお祭りに、飯田に誘われて行っている。それもこれも、自分で考えたことではなく、他人からいわれたことをオウム返しにいっているだけだが。

それが証拠に、自身のブログに、こう書いてしまうのだ。

「もしも私が放射能だったら……人間のために一生懸命働いてきたのに、いきなり寄ってたかって悪者扱い……悲しいだろうなあと思ってしまいます。嫌われ者はいじけて大暴れするかも……。
原発を肯定しているわけではなく、自然エネルギーに移行していくべきだという考えです。しかし、放射能自体が悪いわけではない。悪いのは人間です。私は放射能に感謝の気持ちを送ります。ありがとう……」(2012年1月7日)