東条へ大命降下、「国策遂行要領」は白紙へ

東条に白紙還元を求める組閣の大命を受けた東条に木戸は、天皇の「思召おぼしめし」として九月六日御前会議決定の白紙還元を求め(いわゆる「白紙還元の優諚ゆうじょう」)、東条は了承した。「国策遂行要領」が、白紙に戻されたのである。

この白紙還元の優諚は木戸の考えによるものだった。大命降下のさいの昭和天皇の発言は、憲法の遵守じゅんしゅと、陸海軍の協力を求めており、御前会議決定の白紙還元にはふれていない。

「白紙還元の優諚」は、天皇から直接東条に示されたものではなく、木戸から間接的に「思召」として、こう伝えられたのである。

「ただいま、陛下より陸海軍協力云々の御言葉がありましたことと拝察いたしますが、なお、国策の大本を決定せられますについては、九月六日の御前会議の決定にとらわるるところなく、内外の情勢をさらに広く深く検討し、慎重なる考究を加うることを要すの思召であります。」

木戸が「思召」を東条に“間接的”に伝えた理由

木戸はなぜこのような形式を取ったのだろうか。それについて、木戸自身はふれていない。だが、おそらく、この白紙還元による戦争回避の結果が後に大きな問題になった場合を考えてのことと推測される。

戦争回避に成功した結果、それが原因で日本が何らか国内外の困難な局面に立たされた場合、その責任を木戸自身が負うつもりだったのではないかと思われる。

白紙還元により戦争が回避されれば、副作用として、そのような状況になる可能性は十分にあると木戸は考えていた。その場合、非難が天皇や皇室に及ばないよう、自身の独断によるものと処理することが可能な、間接的な手法をとったのではないだろうか。

なぜ木戸は東条を選んだのか

東条推薦の経緯について木戸は、その手記「第三次近衛内閣更迭の顛末」(昭和16年11月付)に次のように記している。少し読みづらいが重要なので直接引用する。

「今日海軍の態度より推して対米開戦は容易に決し難しと認めらる……、九月六日の御前会議の決定は不用意なる点あり……敢然再検討をなすの要あるべきは勿論なりと信ず。要するに海軍の自信ある決意なき限り、国運を賭する大戦争に突入するは、最も戒慎を要するところなるべし。東条陸相も余の意見に全然同感にして、九月六日の御前会議の決定はがんにして、実際海軍の自信ある決意なくしてはこの戦争はできざるなり、とまで述べられたり。而して……少なくとも九月六日の御前会議の決定を一度白紙に返すことが、今日なすべき最小限度の要求なのであるが……[それは]最近の情勢よりみて至難事中の至難事である。すなわち今回大命を拝して組閣するものは、陛下の思召を真に奉戴して、軍部ことに陸軍を充分統率するとともに、陸海軍の協調をも完全になさしむることが肝要である。……余は以上の理由をもって東条陸軍大臣を推選し、多数の同意の下に奉答したのである。」