政府は補償はせず企業や店舗に「自主的休業」させれば補償はいらない

そして、安倍首相は「不要不急の外出をやめれば、『普通』の生活を送っていい」とも言い切っている。そこで思う。はて、「不要不急」「普通」って何だろう。友達にも会えず、学校にも行けず、ジムにも行けず、会社に行けず、仕事を失い、入学式も卒業式もなくなった。それを普通と言われても、困るのだ。

緊急事態宣言の発表を受け、臨時休業した東京・上野のアメ横商店街の店舗=2020年4月8日午後
写真=時事通信フォト
緊急事態宣言の発表を受け、臨時休業した東京・上野のアメ横商店街の店舗=2020年4月8日午後

つまり、「Stopサイン」と「Goサイン」が入り交じっている。だから、受け止める国民は混乱するしかない。

経済を止めるわけにはいかないから、表現があいまいにならざるを得ない。そんな「大人の事情」は理解できる。しかし、「中途半端」はどちらも殺すことにはならないだろうか。

今、緊急事態宣言を受け、国と都でどの施設を休業扱いにするのかでもめている。そうやってもたもたしている間に、休業対象ではない飲食店が「この状態では、商売はできない」と自主休業している。これは日本企業が「自主的な退職であれば、退職金は払わないですむ」と社員に圧力をかけてリストラする常套手段を想起させる。

あいまいに伝えることで、人にも企業にも店舗にも「自主的」に決めさせる。その結果、どうなろうと国の責任は問われない。責任はすべて国民にある。この会見の安倍首相の文言に、筆者はそんな意図が隠されているのではないかと疑いたくなる。

責任といえば、ニューヨーク州のアンドリュー・クオモ州知事は「すべての責任は私にある」と言い切ったが、今回の会見の質疑で安倍首相は、「例えば最悪の事態になった場合、私たちが責任を取ればいいというものではありません」と述べている。

安倍首相は「自粛ポリス」の市民が自主的に街を見張ることを期待

会見では「人と人との接触機会を最低7割、極力8割削減」と強調したが、高齢の両親を抱え、ずっとこもり続けている筆者は「これ以上、どうやって減らせるのか」と途方に暮れるしかない。仕事でどうしても外出しなければいけない人たちも同じだろう。

要するに「すべて忖度して、解釈しなさい」ということなのだ。

「なんて国だ」と打ちひしがれたが、ふと思った。いや、これで、日本は何とかなるのかもしれない。われわれ日本人は、そういうコミュニケーションに慣れているのだ。

空気を読み、周りに迷惑をかけないように、と常に人目を気にする。江戸時代に、お互いを監視させるためにつくられた「五人組」のように、「最低7割、極力8割削減」という集団目標を守るために、市民の中に「自粛ポリス」が現れ、周囲の行動を自主的に見張りだすかもしれない。

そもそも日本人は我慢強い。自粛と我慢と自己責任と同調圧力、この4種の神器がそろえば、法的拘束力がなくても、また休業補償をしなくても、何とか、国民の自助努力により感染防止を実現できるのかもしれない。それこそが安倍首相の究極の狙いなのか。

そんなふうに妄想した後、急に恐ろしくなった。

現政権がそこまで深読みし、すべてをあいまいにして、責任をぶん投げてきたのではないかと思ったのだ。だとすれば、計算されつくした、狡猾すぎる戦略である。