安倍首相は国民に、安心も希望も恐怖も与えなかった

日本で初めての「緊急事態宣言」を発令するにあたり、安倍首相はこれまでとは異なり、いくつも工夫している様子がうかがえた。

まずは視線だ。左右交互にプロンプターを見やり、原稿を読むスタイルは変わらないが、前回までのロボットのような不自然さはなく、正面を見る回数がぐっと増えた。また、医療従事者や「物流を守るトラック運転手の皆さん」に言及するなど、現場の頑張りに触れるという欧米のリーダーの演説スタイルを踏襲していた。

米国フランクリン・D・ルーズヴェルト(FDR)の郵便切手
写真=iStock.com/PictureLake
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違和感のあったマスクは外しており、ビジュアルの印象もよくなっていた。さらには、1930年代の世界恐慌当時のアメリカ大統領、フランクリン・ルーズベルトの就任演説での言葉「私たちが最も恐れるべきは恐怖、それ自体」を引用し、リーダーシップを印象付けていた。

ただ、違和感も残った。

国や企業のトップによるスピーチやコミュニケーションの要諦は、聞き終わった後、聞き手にどんな「感情」を喚起し、その脳裏にどんな「メッセージ」を残すかである。今回、筆者にはそのどちらも残らなかった。

前者の「感情」では、海外のリーダーは、励ます、鼓舞する、勇気づける、危機感をあおる、といったことを意識して話す。

例えば、イギリスのエリザベス女王やドイツのアンゲラ・メルケル首相の演説は、聞く人の心を揺さぶる。コミュニケーションで人を動かそうとするのであれば、それだけの言葉と熱量を発さなければならない。

しかし、安倍首相の会見では、安心も希望も恐怖も感じない。感情の心電図はフラットのままだ。

もっと劇的に演出できれば切迫感を伝えられたはずだが……

後者の「メッセージ」では、国民の受け止め方はいろいろあるだろう。だが、筆者としては、「結局、何?」ということしか残らなかった。あえて意図しているのかもしれないが、総じて表現があいまいで歯切れが悪い。だから事態の深刻さが伝わってこないし、「もう大丈夫」という安心感もない。

切迫感を伝えたいのであれば、「緊急事態宣言」をもっと劇的に演出できたはずだ。ところが、長々と前置きをした後に、「先ほど諮問委員会のご賛同も得ましたので、特別措置法第32条に基づき緊急事態宣言を発出することいたします。対象となる……」と事務的に言うだけだった。

スライドやフリップ(ボード)などを背に、言葉の間(ま)を十分にとり、威厳をもって宣言するシーンを作り出せば、メディアはきっとその部分を切り取り、繰り返すため、国民に印象付けることができただろう。