ルールは「自分を入れること」

「文章を書こう」といきなり言われてもフツーは書けない。なぜなら答えのない文章を書くことを僕らは教えられていない。書けないことで悩む必要もない。はっきりいってしまえば、書けないのは世の中が悪い。

ライティング、文章術といって書くことのハードルを上げている人もいる。まともに書けない人に「文章に自分を入れるな」と叫んでもできるわけがない。もっともそう教えている人の99%はできていないが、悪口になってしまうので別の機会にする。

また、小学校のとき「好きに書いて」と教師に言われて書いた作文を馬鹿な旧友にあれこれ評価されて以来、書いたもの(文章)を人に読まれるのが恥ずかしいという人もいるだろう。とかくこの世は書きにくい世の中なのだ。

だが、対価をもらって商売として書く文章ならともかく、自分のために書く文章である。他人のことは気にせず自由に書いてみよう。文法が間違っていたっていい。日記でも随筆でもメモでもいい、とにかく書いてみる。ルールはひとつだけだ。自分を入れること。

たとえば日記なら、ニュースで悲惨な事件を見て「こんな事件があった」と書くのではなく、一言でいいから自分の気持ちや意見を入れる。「こんな事件があった。とても悲しい」。対象(でき事)について自分(感情や思考、意見)を入れて、自分に引き寄せるようにすると、文章を書く際のハードルは一気に下がる。書くことが難しいと感じるのは、自分のフィールドで戦っていないからだ。まずは自分のほうへ対象を引っ張ってくることである。

「書く」は自分を発掘する営み

書くことは自分の知らない自分を発掘するようなものである。

たとえば「会社を辞めた」というでき事に対して、理由を足して「上司がムカついたから、会社を辞めた」、感情を足せば「上司がムカついたから、会社を辞めた。今はとてもすっきりしている」、さらに過去と未来を加えると「同僚をイビり続けてきた上司がムカついたから、会社を辞めた。今はとてもすっきりしている。この勢いで明日は海を見に行こう」と一気に厚みが出る。

感情や意見に過去や未来を加えると、自分の色が強くなる。僕は書くことを副業にしているが、ほとんどこのやり方で乗り切っている。

そのうえで、書いているときに、「あっそういえば」という気付きがあったら、迷うことなく文章に取り入れよう。

たとえば、例文なら、「ああ、私はクソ上司を殴りたかったのだ。」という気付きを入れると「同僚をイビり続けてきた上司がムカついたから、会社を辞めた。法律がなければぶん殴っていた。今はとてもすっきりしている。この勢いで明日は海を見に行こう。」となる。書いているうちに上司を殴りたい自分の感情を発掘したのだ。書くこととは発掘である。ときどき思いもよらないものが見つかることがあるのだ。

肝心なことは書くことであって、書き残した文章ではない。書いているときは、対象が何であれ、自分と向き合っている状態である。

つまり書くことは考えること、己の思索をたどることである。そして、書くことは、対象との向き合い方や距離を確認する作業である。書くを継続、繰り返すことで、世界の見方が形成されていく。それこそがあなただけの世界観になる。

文章を書くことで自分を知り、世界観を得られる。自分と他者とがわかれば、生きていく上での戦略が立てられる。どのような武器を身に付ければいいかわかってくる。武器とは誰かに与えられるものではなく、書くことで自分を知り、考え抜いたところから生まれるものである。