なぜデマ情報で長蛇の列ができるのか?
「個」が強く求められる今の時代で、武器のない人が生きぬくのはかなり厳しい。すでに生きることに悩んでいる人も多い。
たとえば、新型コロナ騒動の一環で、「中国産の紙が輸入できなくなりトイレットペーパーが近いうちになくなる」というデマ情報を聞いて、各地のドラッグストアに長蛇の列ができた。多くの人は、その情報がデマだと知っていて列に並んでいた。
いろいろな理由はあるだろうが、確固たる自分のなさ、弱さが大きいように思われた。弱いからブレ、群れるという楽な方向に流されてしまうのだ。
「今のままではヤバい」という危機感のある人は、武器や強みを持つことの必要性を強く感じて悩んでいる。ところが、「あなたの武器は何ですか」「強みはいったいどこにありますか」と質問すると、「実現したい夢や目標がある」「誰とでも仲良くなれる」といった答えがかえってくる。
はっきりいってそのような心もとないものでは、今を生き抜くのは難しい。僕のようにいい加減な人間なら、「ケセラセラ」と諦めてがぶがぶお酒を飲むなどして自堕落に時間を浪費して朽ち果てるだけだが、真面目な人が「私は武器をもって真面目に人生を生きようとしているのになぜうまくいかないのだ」と悩む姿は絶望的で悲しい。見ていられない。
答えは簡単だ。自分が持つべき武器がわかっていないのだ。自分というものがわかっていないから、自分の武器が何かわからないのだ。
思考や感情を繋ぎとめる方法
僕らは自分で思っているほど自分自身がどういう人間なのか知らない。
たとえば、今朝起きた瞬間に何を考えていたか、正確に思い出すことができるだろうか。あるいは夜ベッドに入るまで、人と会話をしてニュースを見て、そのシーンごとに自分が覚えた感情や思考を再生することができるだろうか。できない。思考や感情は流れてしまうからだ。
仮に、それらを繋ぎとめることができたら、自分という存在を知るヒントになる。自分を知るために思考や感情を繋ぎとめる方法のなかで、もっとも手軽で、今すぐ始められること、それが書くという行為である。書くことに、音楽や絵画のような天賦の才能は必要ない。時間や金もいらない。記録としてではなく確認としての書くという行為をはじめよう。