「第三者委員会」の看板が独り歩きを始めた
21世紀に入り、「暗黒の11月」が「序章」に過ぎなかったことを、我々は痛感した。バブル崩壊の後遺症もあって、数多くの企業不祥事も明るみに出た。そして、前世紀末に産み落とされた「問題の原因追及などを外部の第三者の手に委ねる」という手法も、多用されるようになっていく。
だが、数が増えるにつれ、「第三者委員会」という看板が独り歩きを始めるようになる。第三者委員会とは名ばかりの、信頼性に疑いを持たざるを得ない「調査報告書」が目立ち始めたのである(詳細は、拙著『「第三者委員会」の欺瞞』(中公新書ラクレ、2020年4月刊))。
経営者の罪を隠す「有害な報告書」
2009年、彼らがいかにデタラメな仕事をしているのかを白日の下にさらす、ある「事件」が起こる。08年10月、自動車部品メーカー、フタバ産業に過年度決算の不正会計処理が発覚し、事実の解明などを目的とする「第三者委員会」が設置される。ここまでは普通なのだが、この事案では、委員会が報告書を出すものの、次から次に新たな疑惑が浮上して、結局短期間に3つの委員会が設置され、それぞれ異なる結論を語るというドタバタぶりを露呈してしまったのだ。
当初、発足した「社外調査委員会」はおおむね会社を擁護するような内容の報告書を出している。
この事件では、その後、元社長らが刑事責任を問われ逮捕されたものの、元社長は嫌疑不十分で不起訴処分となった。しかし、一部の元執行役員には業務上横領と有印私文書偽造・同行使の罪で実刑判決が言い渡されている。
委員会の結論が徐々に先鋭化したのは、処分の見極めに関わる証券取引等監視委員会が一連の報告書の信頼性の無さに懸念を抱くこととなったからだとも言われている。いずれにしても、少なくとも最初の社外調査委員会(報告書)は、無用の長物であるばかりでなく、逮捕までされた経営者たちの罪を、結果的に覆い隠す役割を担ったという点で、有害でさえあった。