原本は1985年に出版された出久根達郎さんのデビュー作。のちに文庫化もされたが、ここ10年ほどは双方の版が絶えていた。だから「どうしたら読めますか?」と、著者のもとへ問い合わせをしてくるファンも多かった。
「ごめんなさい。古本屋さんで探してみてください」
律儀な直木賞作家は、そのたびに電話口の向こうへ頭を下げたという。
そもそも出久根さん自身が「古本屋」なのである。本書は東京・杉並で古書店を営む著者が、商売を巡るあれこれを硬軟自在の文章で書きとめたエッセイ集。「大増補」とあるのは、「ほとんど1冊分(160ページ)の原稿を追加したから」である。
古本好きの生態や古本商売の内幕について、興味津々の話が満載だ。たとえば、祖父の遺品を処分するから真夜中に来てくれと頼む女性。「本を買うなら売ってやるよ」と威張り散らす重役風の人物。彼らにはどんな事情があるのか。また、著者が仕入れ先の一つとして使っていた「屑屋さん」とは、どんな人たちなのか……。筆致はときに幻想的で、哄笑や微笑をさそうおかしさもある。
周知のとおり、93年に『佃島ふたり書房』で直木賞を受賞するなど作家としても盛名を馳せる。だが「私は古本屋であって小説家でもあるのだが、天職だと思うのは、前者の方である」(本書)というのが著者の変わらぬ立ち位置だ。
そのスタンスから「効率のみを考え、わずらわしさを避けた商売は、遠からず行き詰まる。古本屋に限らず、これからの商売は、以前のような対面販売に戻るのではないか」(同)と指摘する。99年の文章である。
その後の10年、日本全国で商店街の衰微が進行し、「シャッター通り」がみるみる増えた。流行るのは田園に大伽藍を組み上げたショッピングセンターばかりだったが、リーマン・ショック後は、その勢いにも急ブレーキがかかった。買い物において、人生において「わずらわしさを避けた」結果、われわれは何か大事なものを失ってしまったのではなかったか。
「古本屋もそうですが、古い世界には若い人がなかなか入り込めないという問題があります。しかし、古い世界ほど人間性の『いいもの』が残っているのも事実なんです。たとえば本をモノだと割り切って商売をしていたら、そこにはドラマも『綺譚』も生まれませんよ」
飄々とした出久根さんが、そこだけはずしりと、厳しい顔で断言するのである。