社会的感情としての「悲しみ」について

そんなときふと目にとまったのが、自宅の本棚にあったIMDの同僚の著書『セキュアベース・リーダーシップ』(プレジデント社)だ。もともと私自身が、この本の考え方にかつて救われ、日本でも出版したいと思い、働きかけて実現した本だ。これを久しぶりに紐解いた。

最初に目に飛び込んできたのは、「社会的感情としての『悲しみ』」という言葉だった。このテーマにまる1章、費やされている。「セキュアベース・リーダーシップ」とは、人が困難な目標に挑戦するときに、安全基地となるようなリーダーの在り方だ。いまわたしたちに必要なことは、お互いが安全基地として機能するような関係の再構築ではないのか。そのような観点からこの本をじっくり読みなおすと、自分自身に対して、また、広く社会に対して示唆となる言葉にいくつも出合った。

まずは、「これまでの日常」の喪失について。

人は「所属している」感覚によって動機づけられるということも、神経科学が示している。人は皆、精神的・肉体的に健全に成長するために、社会的な関係が「必要」だ。人が社会から疎外された場合、(中略…)体に痛みがあるときと同じ脳の部分が作動するという。取り残されたり、拒絶されたり、疎外されると、リアルな痛みの感覚が生じる。人が「傷ついた」と言うとき、本当に痛みを感じているのである。

(『セキュアベース・リーダーシップ』P139)

「仕方がない」ですべて片づけてしまっていないか

社会的な関係が分断されて痛みを感じるのは自然な反応なのだ。だから、まずその痛みを自ら認めたうえで、(そして痛みを感じる自分を責めることなく)どうしたら「所属している」感覚を取り戻せるかを考えたい。私がSNSを見たくない、人に会いたくないと引きこもりがちになっていたのは、「仕方がない」「自分だけではない」「もっと苦しんでいる人がいる」と自分に言い聞かせつつ自分の喪失感情を無視して、事態に対処することだけに専念してきた反動ではないかと気づいた。

物理的に一緒にいられないなら、メールする、チャットする。でもおそらくそれでは乗り越えられない感覚を、電話で話す、Zoomなどのビデオ会議機能を使って話をする、といった、よりリアルに近いコミュニケーションの手段で満たしていく。もし、あなたが組織やチームのマネジャーで、今回のことでリモートワークを強いられているのなら、リアルに近いコミュニケーションを定期的に交えながら、メンバーの「所属している感覚」を絶やさないようにしてほしい。もしかするとマネジャーであるあなたにとってもそれが必要かもしれない。

この時期、あなただけでなく、あなたの同僚や仕事仲間、クライアントも同様に痛みを感じている可能性が高い。そして、時間に思わぬ余裕ができてしまっている人も少なくない。こういう時期だからこそ、かつてお世話になった人や、しばらく疎遠になっている人との対話を再開するチャンスかもしれない。

この「リアルな痛み」の下りは次の一節で締めくくられている。

この発見は、変革を実施するときに意味を持つ。変革によって喪失を経験する人たちには、共感と思いやりをもって接しなければならない。

(『セキュアベース・リーダーシップ』P139)