戦車将軍・グデーリアン、指揮権を奪われる

しかし、クライストに叱責されたグデーリアンは黙っていなかった。

「最初の嵐が過ぎたのち、一息置いてから、自分を解任してくれるように願い出た。フォン・クライスト将軍はたじろいだものの、うなずくと、指揮系統上で次席の将軍に指揮権を委譲するよう指示した」(『電撃戦』)。

これによって、第2装甲師団長ルドルフ・ファイエル中将が、第19自動車化軍団の指揮を執ることになったのだ。

一種の「統帥危機」ともいうべき事態であった。マンシュタインの構想通りに、装甲部隊を作戦的に運用し、決勝を得ようとするグデーリアンと、旧来の軍事常識に囚われ、側面掩護を案じるヒトラー以下の上層部との深い亀裂が露呈したのである。

さりながら、アルデンヌ突破とスダン攻略の立役者であるグデーリアンを、表舞台から外しておくわけにはいかない。

「威力偵察」の前進継続案に飛びつく

17日の午後、A軍集団司令官ルントシュテット上級大将の委託を受けて、グデーリアンのもとにやってきた第12軍司令官ヴィルヘルム・リスト上級大将は(5月15日正午を以て、クライスト装甲集団は、A軍集団直属から第12軍麾下に移されていた)、慰留に努め、従来通りに第19自動車化軍団の指揮を執るように説得した。

このとき、リストはもう一つ、譲歩を示した。このまま、軍団の司令所を動かさずにおくのなら、「威力偵察」というかたちで前進を継続してもよいとしたのである。グデーリアンは、リストの提案に飛びついた。

ちなみに、同じ17日、フランス軍が持っていた最後の機甲予備師団が、第1装甲師団を攻撃、ドイツ軍を窮地に追いやるという事態が生起した。

この第四機甲予備師団は、1930年代初頭から、軍隊の機械化こそ重要であると唱えてきた大佐に指揮されていたのだ。彼の名はシャルル・ド・ゴール、のちにフランス大統領となる人物である。

しかし、この、ついに機甲予備師団の威力を発揮したかと思われた攻撃も、呼び寄せられたドイツ空軍の地上攻撃を受け、決定打となるには至らなかった。

ハルダー陸軍参謀総長、ヒトラーを説得し西方突進へ

5月17日、ハルダー陸軍参謀総長は、クルーゲ上級大将率いる第4軍のもとにすべての快速部隊を集中し、ヒトラーの承認がありしだい、可及的速やかに西方に突進させると決断した。

連合軍をソンム川の線で南北に分断し、北部ベルギーに身を乗り出したかたちになっている敵主力を英仏海峡沿岸部で包囲撃滅するのである。

この決定に従い、B軍集団の麾下にあって、オランダや北部ベルギー方面で連合軍を牽制していた第16ならびに第39自動車化軍団も、5月18日にA軍集団指揮下に移ることになった。