英仏軍をダンケルクの港まで追いつめたナチスドイツ。しかし、絶好の攻撃目標を前にヒトラーは停止命令を下す。現代史家の大木毅氏は「英仏軍にとっては、奇跡というしかない事態だった」という――。
※本稿は、大木毅『戦車将軍 グデーリアン』(角川新書)の一部を再編集したものです。
ナチス・ドイツに翻弄される連合国軍
5月15日、ムーズ川沿いのフランス軍戦線は崩壊した。フランス軍は、時々刻々と変化する戦況についていくことができず、ドイツ装甲師団を押しとどめられなかったのだ。
グデーリアンは、「自ら機動を続け、かつ敵にも流動的な状況を強いているかぎり、安定した戦線を築くことを妨害し得る」と発言したことがある。そのグデーリアンの言葉のままに、連合軍は翻弄されていた。
そうした連合軍の混乱を象徴しているのは、機甲部隊の運用だった。当時、フランス軍は味方戦線が突破された際に反撃に出るための兵力として、「機甲予備師団」4個を保有していた。
今こそ、この機甲予備師団を投入して、ドイツ装甲部隊に痛打を与える時機のはずであったが、結局のところ、これらは五月雨式の運用をされてしまったのである。
まず、5月14日、フランス第2軍は、予備の第21軍団に第3機甲予備師団を加えて、反撃に出ようとした。ところが、ドイツ軍の攻撃を受けた前線の将兵が敗走してくるのをみた第2軍は、攻撃を中止させる。
第3機甲予備師団は、集中打撃を加えるのではなく、防御線支援に分散配置されてしまった。