更なる西進に「待った」をかけるヒトラー

スダンの門は破られた。同じころ、北の第15・第41自動車化軍団もムーズ川渡河に成功している。しかしながら、グデーリアンは、きわめて悩ましい状況にあった。

3月15日、A軍集団麾下の軍司令官を集めた会議で、ムーズ川渡河以降はどう行動するつもりかと問われたグデーリアンは、さらに西進すると答えたものであった。

ところが、第19自動車化軍団の上部組織、クライスト装甲集団、A軍集団、OKHは、いずれも、そのような突進には反対であった。歩兵が追いついてきて、橋頭堡を確保・拡大するまで、装甲部隊は足踏みしたまま、そこで待っていろという認識だったのである。

ハルダー陸軍参謀総長は、1940年3月12日付のA軍集団参謀長ゲオルク・フォン・ゾーデンシュテルン中将宛書簡で、ムーズ渡河攻撃に参加した装甲部隊を、そのまま、つぎの作戦に投入することはしないと明言している。

充分な兵力を持った歩兵部隊が活動できるだけの基盤が、ムーズ川の西岸につくられた時点で、どう使うかを考えるというのだ。ヒトラーも、突進する装甲部隊の側面が開いたままになることを恐れ、「ムーズ渡河決行後の措置」は、自らの専権事項にするとしていた。

戦車将軍、独断専行で西進続行を決める

グデーリアンにとって、それは我慢のならぬ優柔不断でしかない。スダンの防御陣を覆滅し、西方への道が開けた今こそ、第1次世界大戦で突進部隊がやったのと同様、装甲部隊が側背を顧みず進撃し、敵を混乱におとしいれるべきであろう。

そうして無力化された連合軍部隊は、たとえ後方に残っていたとしても脅威にはならぬ。やはり第1次世界大戦末期に、後続の歩兵によって、突進部隊がマヒさせた敵を撃滅したように、掃討していけばよい。

焦慮を深めるグデーリアンのもとに、決断を迫る報告が届く。第1装甲師団が、アルデンヌ運河にかかる橋を無傷で確保したというのである。西方に通じる扉が、よりいっそう大きく開かれたのだ。

予想される連合軍の反撃に備え、命令通りに橋頭堡を固めるか。敵の混乱につけこみ、第19自動車化軍団の総力を挙げて、西へ進むか。

2つに1つの難しい問題に直面し、思い悩むグデーリアンだったが、第1装甲師団作戦参謀のヴェンク少佐が背中を押した。同師団の指揮所を訪れ、西への旋回は可能かと問うたグデーリアンに、少佐は、「ちびちび遣うな、つぎ込め」という、あのスローガンを呟いたのちにうなずいてみせた。

これに力づけられたグデーリアンは、5月14日午後2時、第1および第2装甲師団に、全兵力を以て西へ向かえと下命する。

西方侵攻作戦の決定的瞬間であった。グデーリアンは、ヒトラーや陸軍上層部の意に背いて、独断専行で作戦次元の機動戦を続行すると決めたのである。