家事や片付けが非常に苦手だった息子
Aさんは元々「吃音」があり、人と接するのが苦手でした。小中学校では授業についていけず、学力も低かった様です。中学校を卒業後は、自動車部品関連の仕事に就きました。しかし同僚や上司に厳しく叱られて仕事が長続きせず、4度も転職します。
35歳頃、最後となった勤務先で周囲への被害的な発言が目立つようになり、解雇されました。当時定年退職して一人で暮らしていた父親に連絡が入り、迎えに行ったところ、早口で意味不明の発言をしていたといいます。程なく精神科で統合失調症と診断され、治療が開始されました。
こうして始まった父と子の2人暮らし。父の年金は毎月8万円で、足りない分は退職金を充てる生活でした。ここで分かったのは、Aさんは家事や片付けが非常に苦手だったということです。このため父が調理や掃除を行っていました。しかしAさんが40歳になる頃、父の退職金が底をついてしまったことで生活が困窮し、親子の言い争いが増えていきました。本来であれば、Aさんは2週間に1度の受診でしたが、お金がないため2カ月に1度の受診となることもありました。
「カネのことをいちいち干渉するな!」
このため、外来ソーシャルワーカーの強い勧めにより、父親は生活保護の受給に踏み切りました。父親は世間体を気にして受給に消極的だったものの、月5万円の生活保護により計13万円の生活費が確保されるように。しかし、Aさんの通院状況は改善されませんでした。ソーシャルワーカーが2人から生活費の使い方を聞くと、父親は不機嫌に強い口調で「カネのことをいちいち干渉するな」と言い、話題を避けていました。
こうして何とか均衡を保っていた父子の生活が崩れたのは、Aさんが43歳の時です。父親が体調を崩し、Aさんが家事を担うようになって家が荒れていったのです。体調が悪化したためか、父親の口調も荒くなり、Aさんは父親が自分を責めていると感じ始め、徐々に落ち着かなくなっていきました。そんな息子と接する父親も、自暴自棄的な発言や疲弊した発言が目立つように。主治医が、このままでは2人の精神状態が悪化すると判断し、2人とも精神科への入院を余儀なくされました。