タブーに挑み、事実だけでなく「真実」にも迫る

<strong>田原総一朗</strong>●1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所入社。東京12チャンネル(現テレビ東京)に移り、76年退社してフリーに。テレビ朝日系の「朝まで生テレビ!」「サンデープロジェクト」など、人気番組の進行役を務める。『原子力戦争』『通貨マフィア戦争』『日本の官僚』『電通』『テレビと権力』など著書多数。
田原総一朗●1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所入社。東京12チャンネル(現テレビ東京)に移り、76年退社してフリーに。テレビ朝日系の「朝まで生テレビ!」「サンデープロジェクト」など、人気番組の進行役を務める。『原子力戦争』『通貨マフィア戦争』『日本の官僚』『電通』『テレビと権力』など著書多数。

残念ながら企業・経済小説は文壇で理由なき差別を受けています。時代小説や恋愛小説などは直木賞や芥川賞の対象になるのに、企業小説はならない。ノンフィクションには大宅壮一賞という知名度の高い賞はあるけれど、企業小説はそれに該当するものがない。

総理大臣時代の中曽根康弘さんに、こう尋ねたことがあります。

「中曽根さん、あなたはいま何を読んでいますか?」

回答は、城山三郎さんが幕末から明治初期にかけて若き日の渋沢栄一を描いた『雄気堂々』でした。城山さんはもともと総会屋をテーマにした『総会屋錦城』でデビューした、いわば企業小説家のフロンティアです。僕も大きな感銘を受けた『毎日が日曜日』という商社を舞台にした作品もあります。

時の宰相の中曽根さんも読んでいたという意味で、城山さんは企業小説を手がける作家の中で例外的に評価を受けた人でしょう。しかし、昭和から平成への好不況の激動する経済サイクルの中、多くの企業小説が生み出されても、なお不当に差別されている、という印象を僕は拭うことができません。

文壇には、作家が企業内外の謀略や暴露まがいの行為を描くのは品がないという偏見がある。清水一行さんは社内の権力闘争を描いた『首都圏銀行』など読ませる作品を数多く書いていますが、その評価は低い。あるとき、清水さんは僕に苦笑してこう言いました。

「主人公の大企業経営者がスキャンダルを起こして土下座するなどというのは文学じゃない、つまり小説とは認められないということらしいんですよ」

企業小説ほど、「時代」を浮き彫りにするジャンルはないと思います。企業のオモテもウラも、生々しく書くから、“空気”まで表現できる。ヴィヴィッドな時代のエッセンスが、作品の中に凝縮されて息づいているのです。

では、優れた企業小説と平凡な企業小説を分ける最大のポイントは何か。それは「タブーに挑戦しているか、いないか」です。タブーに挑戦するとは、作品内に実在モデルを登場させること。企業名や名前などは架空のものでも、読者が「あぁ、あの企業のあの社長だ」などとイメージできればいいのです。

たとえば、高杉良さんの『覇権への疾走』のモデルは、日産自動車の中興の祖として知られる当時の会長、川又克二さんと、全日本自動車産業労働組合総連合会長の塩路一郎さんです。その頃、川又さんとの癒着関係も噂された塩路さんのことを深く切り込んだ作家は皆無でした。それは労組トップゆえのタブーでしたが、高杉さんはそのタブーに果敢に切り込んでいった。