ゆえに学校を一斉休校にするということは、爆発的感染拡大を抑える効果がある。

また、集団ワクチン接種の研究で明らかになったことだが、学校での集団ワクチン接種をしっかり行うと、学校内での感染が抑えられるだけでなく、高齢者や基礎疾患者の死亡数も抑えられ、逆に、集団ワクチン接種が行われないと、学校内の感染が広がるだけでなく、高齢者や基礎疾患者の死亡数も増えるという事実が明らかになった。

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このように、一斉休校は「子供たちを守る」というよりも、国全体の爆発的感染拡大(ピーク)を抑えたり、高齢者や基礎疾患者を守ったりする「社会防衛的な措置」である。成人の活動を抑制するのは経済的にダメージが大きくなりすぎるので、そのダメージの少ない子供たちの活動を抑制するのである。

このことを、国民にしっかり伝えないと、大きな誤解を生む。

ところが萩生田光一文科相や安倍さんなどの政府は、一斉休校について「子供たちを守る」という点を強調してしまった。そうなると、感染がない学校まで休校にする必要はない! という批判が出てくる。今はこの批判が多いようだ。

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学者が唱える「地方分権論」はどこが間違っているか

自治体の中には、うちの地域では感染者が少ないから、学校は休校にしないと判断したところがある。

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今、一斉休校に反対している自治体の首長は、自分の地域のことだけを見ているのであろう。国全体の社会防衛策であれば、国全体の視点で判断しなければならず、これは国防と同様に、地方分権の話ではなく、国が責任をもって判断すべきことだ。

僕は強烈な地方分権論者だ。知事、市長時代の8年間は、地方分権を少しでも進めるために、国と激しく交渉してきた。

しかし、なんでもかんでも地方の権限でやらせろ! という地方分権論ではない。

地方行政の学者たちがよく唱える地方分権の定番フレーズである「補完性の原則」というものは、地方で「できる」ことは地方がやる、地方でできないことを国がやる、というものだが、実際に首長をやった経験からするとそれはまったく違うと感じる。本来の地方分権は、国が「やるべき」ことは国がやる、地方が「やるべき」ことは地方がやる、という「役割分担」の話だ。

すなわち地方が「できる」ことでも、国が「やるべき」ことは国でやるべき、というのが僕の地方分権論だ。

学校運営は地方自治体が「できる」ことだ。だから休校判断は地方自治体がやるというのが「補完性の原則」に基づく地方分権論。