嵐山・竹林の道は「もはや通勤ラッシュ」
私は70年代後半から京都市の隣にある亀岡市を拠点に、日本で暮らしています。京都の町と自然が好きで、時間を見つけては、お寺や神社、路地裏を散歩していました。古いお寺に宿る美しさ、人々が受け継いできた町並み、静謐な自然景観など、神や神道の精神性を感じる時間を、とても大切に思っていました。
しかし清水寺、二条城といった“超”の付く名所だけでなく、以前は閑静だった京都駅南側のお寺や神社でも、今は人があふれ返っています。
たとえば、全国に約3万社あるといわれる稲荷神社の総本社で、山際の参道に赤い鳥居が連なる伏見稲荷大社。その鳥居が写真系ソーシャルメディア(SNS)のインスタグラムと相性が良い、つまり“インスタ映え”することから人気で、いつ行っても鳥居の下に人がびっしりと並ぶようになり、参拝もままなりません。
美しい禅庭がある東福寺は、紅葉の季節になると、開門からすぐに、庭を一望できる通天橋の上に人が連なり、立ち止まることもできません。
伏見稲荷や東福寺に限らず、穴場的だった名所でも、今はひとたびSNSで拡散されるや、たちどころに荒らされてしまいます。嵐山・竹林の道は、もはや通勤ラッシュの様相で、京都を好きな人が昔の気分でうっかり出かけると、疲労困憊するはめに陥ります。
観光シーズンの京都では、駅が混みすぎて、普通に電車で移動することが難しくなりました。駅のタクシー乗り場には長い行列ができて、数十分待ちはザラですし、そうなると町中も渋滞して、住民の暮らしが脅かされるようになります。
「観光公害」は京都だけの問題ではない
観光公害は京都だけでなく、世界中で問題になっている、きわめて今日的な社会課題でもあります。
「観光立国」の先駆けヨーロッパでは、バルセロナ、フィレンツェ、アムステルダムといった、世界の観光をリードしてきた街を中心に、「オーバーツーリズム(観光過剰)」という言葉が盛んにいわれるようになり、メディアでは「ツーリズモフォビア(観光恐怖症)」という造語も登場するようになりました。
ちなみに「オーバーツーリズム」という言葉は、2012年にツイッターのハッシュタグ「#overtourism」で認知されるようになったものですが、現在では国連世界観光機関(UNWTO)が、「ホストやゲスト、住民や旅行者が、その土地への訪問者を多すぎるように感じ、地域生活や観光体験の質が、看過できないほど悪化している状態」と、定義を決めています。
この定義では数値ではなく、住民と旅行者の「感じ方」を重視しているところが特徴です。すなわち、多くの人が「観光のために周辺の環境が悪くなった」と思う状態が、オーバーツーリズムなのです。